lundi 26 mars 2007

そして一線を踏み越える



これからどう生きるのが自分にとって一番自然なのか、その中で仕事の持つ意味とは何なのか、というようなことを考える中で、思索を中心に据えた生活をしてみたいというぼんやりとした願いが次第に膨らんでいることに気付き始めていた。そして、2006年11月に入った頃だろうか。自分の思うようにこの精神を働かせてみようとする時、いわゆる仕事を続けることは障害にしかならないのではないか、とはっきりと意識できたのだ。そして、これからの数年を放浪 (物理的にも精神的にも) に費やすことができればどんなに素晴らしいだろうという思いに至った。これまで仕事が忙しいということですべて先延ばしにしてきた諸々の問題について、自分の持っているすべての時間を自由に使って考えてみたいという強い思いが立ち上がってきたのである。

それからパリの友人MDにメールを出し、私の決断を伝える。その中には、パリをベースに世界を観察しながら歴史、哲学、科学について自らの考えを深めていきたいと綴っていた。彼からは特に驚く様子もなく、それは素晴らしい、ただ生活のこともあるので自分の勤めている研究所でそのような人を採用する可能性がないか探ってみると書かれてあった (実際に報酬の出るポジションは難しいとの連絡が後ほど入ったが)。無理と分かっているような可能性について、真剣に検討してくれる彼の心には感謝しかない。また、どこまでも可能性を追究するというその姿勢には、いつも見習わなければと思わせてくれるものがある。

この時期に、こんなこともあった。私がお手伝いをしているP協会の会長をされているW氏が訪ねてこられた。氏はパリに長く、もう70歳は優に超えていると思われる。話題が科学になった時、氏は向こうの科学者が研究を進めていくと最後は神を考えなければならなくなる人が多いですね、と切り出し、科学とそれ以外の領域との関連に強い興味を抱いているということを話された。私が科学を少し上から眺めてみたい、哲学や宗教との関連について考えてみたいという希望を持っていることを伝えると、氏はそういう道を選択する人がいるということを非常に喜ばれ、青年のように私を励ましてくれた。また、日本にはそのあたりの専門家が少ないとのことであった。

こんなエピソードもあった。私は2年以上前からお昼の時間を意識的に散策に使うようにしている。そしてこの年の11月のある日、 近くの本屋に入った。どういう訳か棚の前に柱があり、棚の本がよく見えないところがあった。しかし、あるいはそれゆえ、その向こうが気になり覗いてみた。するとそこに 「科学哲学」 というクセジュの文庫本が置かれているのが目に入った。ページを捲ってみると、各章が短くて物語性に乏しく、全体がつかみにくい本だな、というのが第一印象であった。それから著者の紹介を見て、私は反応していた。その人がジョルジュ・カンギレム・センターの責任者だったからである。

私が科学を哲学的視点から見てみようと思うようになったきっかけ、もっと正確に言うと 「科学哲学」 なる領域があるということを知ることになったのは、今から2年前になる。2005年3月、パリから友人のMDが訪ねてきた時の何気ない会話に出てきた 「ジョルジュ・カンギレム」 という名前にあったのだ。それを彼が "Georges Canguilhem" と綴ってくれた時、実に不思議な感じがした。そういうことは今まで余り経験がない。今振り返ると、それはどこかに導いてくれる扉だったような気がする。その時は全く意識していなかったが、、。

とにかく何かの縁を感じて、センターを統括しているDL氏に私の希望を伝えるべくメールを出してみることにした。その時、どこかに向けての第一歩を踏み出したとはっきり感じていた。