mercredi 28 mars 2007
パリの大学訪問とある事務官のこと
2006年12月はじめにDL氏にメールを出したが、返事が来る気配がない。一方、MDからは研究所で前例はないが私のような立場の人を客員の形で採用できる可能性はありそうだという連絡が入っていた。ということもあり、年の暮れに向こうの様子を見るため、厳寒のパリで2週間ほど過ごすことにした。
まずMDに挨拶をするために彼の研究所を訪問。研究所の状況を説明される。それから友人の哲学者に助言をもらうこともできるが・・・と言って彼女のホームページを見せてくれたが、専門が違うようなので、まずDL氏のいる大学に行ってみることにした。ほとんど突撃である。
とにかく構内に入り、事務がありそうな所に入る。学生で溢れている。事務員が出てきたのでDL氏のことを尋ねてみたが、そんな人はここにはいないとつれない反応。別のキャンパスに送られる。メトロで降りてその方面に歩いてみたが、大学らしい建物になかなか出くわさない。何度か往復し諦めて帰ろうとしたが、折角ここまで来たのだからと思い、再び戻って建物の近くに行ってみる。案内図に何と Sapporo と名づけられたビルがあり、これは何かのサインではないかなどと考えながら中に入る。ここでも事務らしきところを探すのに一苦労。ほとんど手当たり次第に聞いて回るが、なかなか見つからない。そして最後に入った部屋で親切な人に会う。
彼は私の希望を叶えようと必死に探してくれた。この間、私はDL氏の統括するセンターなるものが実体のない組織ではないかとさえ思っていたので、この事務官には何度ももう探さなくていいですよと断った。しかし、彼は一切それを聞かなかった。そしてわかったのは、何のことはない最初に訪ねたキャンパスにDL氏の研究室があったのである。さらに彼は私のためにアポイントメントまで取ってくれた。DL氏の秘書が電話に出ているのでお前が直接話をしろと言う。こちらの状況を説明すると、あなたのメールや書類のことはDL氏は知っていて興味を持っているので、来週こちらに来てほしいという。その日はパリを離れる前日になる。それならそうと言ってくれればもっと余裕を持って計画できたのに・・・という思いであった。またこの世界には私のような者も受け入れようとするところがあることに驚き、心を強くしていた。振り返れば、この事務官の執拗さがなければ今につながっていなかったかもしれない。彼との出会いには何か不思議なものを感じている。
ということで、どうなるかわからないが、とにかく進むべき道が見えてきた。解放され、満ちたりた気分で近くのカフェに入り、長い一日を振り返る。その時、自分の体の周りが、目には見えない液体で溢れ、この体を圧迫するように感じていた。これまで何度かこういう感覚が襲ってきたことがある。それはいずれも外国での経験になるが、自分が大きな分岐点を前にしていると意識した時である。日本にいると、あたかも決められているように感じる道を何気なく歩んでいるところがあるのだろうか、そのような経験をしたことはない。近くの席では日本からの留学生と思われる女子学生二人が勉強のことを話している。そしてカフェを出た時、目の前には真っ赤に染まった空が広がっていた。今日の写真である。この空を見た時、完全に自分は包まれている感覚に陥り、ほとんど運命的なものを感じていた。ああ、俺はここに来て学ぶことになるのだろう、と。