mardi 2 juin 2015

バカロレア200周年、そしてすべて終了 Le bac a 200 ans ou tout est fini

2 juin 2008
Epreuves écrits à Paris en 1932


歴史雑誌でフランスに特徴的と思われるバカロレアが今年で200年を迎えたことを知る。日本にいる時からフランスには変わった制度があることは知っていたが、それは高校が終った時に大学に入るために必要な関門くらいの理解であった。今回2ページ程度の記事を読んで見ると、この制度を取り巻く状況が少し分かってきたようである。

ナポレオン1世により1808年にこの制度が創設された時の試験は科学の口頭試問だけで、わずか31人しか Bac をもらっていない。1874 年から2段階試験になった。創設から長い間、この制度は上流階級(la bonne société)の子弟のためのものだった。第一次大戦後でも Bac 取得者は7,000人程度。当初からこの制度に問題を感じていた節もある。アングロ・サクソンの国では大学が終ってから初めてBachelor of Arst(BS)という資格がもらえるのに対し、フランスでは高校が終わり大学が始まる時に大学の最初の証明としてバカロレアがあることになる。

1960年代からベビー・ブーマーの世代に入り、教育の機会均等・民主化が始まると、ほとんどすべての人の資格として見做されるようになる。1960年から5年間でBac取得者が60,000人から92,000人へと増え、1980年代まで増加の一途を辿る。同時にシステムも複雑になり、一般バカロレアBaccalauréat général)に加え、1965年には技術系Baccalauréat technologique)、1985年には専門系Baccalauréat professionnel)が創設される。

有資格者の達成目標として高校卒業者の80%を掲げたが、1995年以降大体65%の横ばい状態に入っている(atteindre un palier)。2006年で見ると64.5%が資格を持ち、その内訳は35%が一般バカロレア、17.2%が技術系、12.3%が専門バカロレアとなっている。

バカロレアと言えばフランスの象徴でもあるが、問題点も指摘されている。これが本当に21世紀の平等社会のシステムとして有効なのかどうか。大学の最初の証明書として認めるのか、単なる高校の終わりを意味するものとしてあるべきなのか。改善点はないのか、など。ただ、本当の問題はそこにはなく、 15万人もの生徒が小学校を卒業してもフランス語をほとんど話せない状態であり、その数年後には学校制度から離れてしまうことではないのか、とこの記事は結 んでいる。

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ところで、大学院を出てもまともにフランス語も話せないと言われるだろうわたしの1年目最後の口頭試問が今朝一番で終った。昨日の途中から150ページの資料(本にすると300-400ページになる)を前に、これでは間に合わないと気付き、完全に開き直ってしまった。まさに、俎板の鯉よろしくである。資料は試験とは関係なく夏休みにじっくり読み直すことにすると、自己嫌悪も尻尾を振って逃げて行ってしまった。

試問のやり 方は前回と同様で、問題が書かれてある紙を選び、準備に30分。エクスポゼとその後の質疑応答は30分位だっただろうか。今回の問題は、2つの言葉が並んでいるだけ。なぜその2つが並んでいるのか、わたしの中では繋がらないのである。一方の言葉は生物学でも使われている言葉だったのでそのつもりで説明を始めると、科学哲学の領域では違う意味で使われていると指摘される。確かにそういう意味であれば、2つが並んでいる疑問が氷解する。しかし、残念ながらその言葉はわたしの辞書にはなかった。またしても言葉の定義で不勉強を曝すことになってしまったが、勉強にはなった。

今回は一つの教室で4つの試験が平行していた。 最初だったので騒音はなく助かったが、わたしがエクスポゼを始めると前の女子学生が変なフランス語が聞こえてきて集中できなかったのか、こちらの顔を覗き込んでいた。とにかく質疑応答の時間を何とかつなぐことはできたが、もう一度お勉強が必要、という感じである。

これまでの経験から、この世には物理的な制約が確実にあることに気付き始めている。人生が無限であると考えていた者にとっては、致し方のない遅さである。普段からの努めが大切、と改めて教えられることになった。この教訓をこれからに生かせるのかどうか、余り期待しないで様子を見てみたい。今はともかくすべてが終わってほっとしている、というのが正直なところだろうか。これでやっと自由に時間を使ってメモワールに取り組むことができるという喜びが訪れている。


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2 juin 2015

7年前、必死にやっていた様子が伝わってくる

「この世には物理的な制約が確実にある」 と気付いたようだが、その後は忘れ去られていたようだ

 今、テーズを書こうとしているが、時間的制約に全く気付いていなかった

あるいは、気付いていたのだが、体が動かなかったと言った方が正確か

 否、それはやはり気付いていたことにはならないだろう

 今回はまだ、俎板の鯉という気分にはなっていない





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