mardi 23 juin 2015

小さな愉しみ、そして・・・

23 juin 2008
Le jardin japonais 


今のアパルトマンのバルコンには、前の方の植物の鉢植えが二つほど残されていた。すべての葉が茶色でかさかさになっていたのでもう枯れていると思い、そのまま手を付けずに放置しておいた。先日、夏休みに入って閑があったので何気なく見ていると、一つの枝の先に緑の葉っぱがあるのを発見。ひょっとしてこれは生きているのではないかと思い、水を気長にやってみることにした。枯れた葉っぱをすべて取り払うと、枝が上下左右に乱れた姿を現した。1週間すると他の枝に も緑の葉が見え始め、今まで茶褐色だった枝の先の方から根元に向かってうっすらと緑色を帯びてくるではないか。これは生きていると確信。鉢の中だけではな く外に伸びている枝にもたっぷり水をやり始めた。そうすると、枝の節のようなところから本当に小さな柔らかい淡い緑色の芽が次々に顔を出すようになってきた。ただ、これが枝に水を掛けたためかどうかはわからない。気分的にたっぷり可愛がっているという気持ちにさせてくれる心理的な効果は大きいが、、。そうこうしているうちに一つの枝の先からは花まで咲かせてくれるようになった。

この植物とのやり取りを振り返る。これまで確かめることもせず放置していた態度は、まさに仕事をしていた時の周りとの接し方に近いだろう。その後の植物を介抱するかのような態度(じっくり眺めたり、出てきた葉っぱに触れるなど)は、閑ができ心の余裕もできた時の態度になるのだろう。

少しずれるが、日本にいる時には家の中の植物にはできるだけこの手で触れるようにしていた。そうすると植物が元気になるように見えたからである。これは気のせいかもしれないが、植物にはいろいろな刺激を受ける受容体が豊富にあるようなので、全く科学的根拠がないとも言えないように感じるのだが、、、。それにしても生命とは驚くべきものであり、無上の喜びを与えてくれるようだ。どうしてこんなところから緑が出てくるのかという枝から小さい顔が見えた時の喜びは例えようもない。

話はここで終 らない。余りにも喜びすぎた昨日のこと。私のボワットレートルの中に封書が入っていた。下の階のご婦人からである。全く面識もないのでどんな内容か想像も つかなかったが、次のようなことが書かれてあった。植物に水をやる時には下に受け皿を置いてやることをお勧めいたします。私のバルコンに水が漏れてきて大 いに迷惑しています。この素晴らしい日に窓を閉めなければならないなんて耐えられません、という棘を覆い隠した丁重な言葉が並んでいた。日本での経験から、よもやバルコンから水が漏れることなどないだろうと思っていたのが間違いの元だった。早速、お詫びの手紙を書くことになった。

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もう一つの話題を。日本ではお菓子の類は健康上の理由から極力避けるようにしていた。それがこちらに来て気が緩んでしまい、ちょくちょくエクレアを口にするようになった。ちょっとした時に口に含むとなぜか元気が出るからである。禁じられればられるほど・・・というあれである。別に禁じられているわけではない のだが、、、。エクレール・オ・ショコラ、カフェ、キャラメル(eclair au chocolat, au café, au caramel)の3種類だけ。注文を"un de chaque" (それぞれ一つずつ)とする。それにしてもこちらのエクレアの重いこと。味も日本のものとは別物である。

すでに私の住む郊外のパティスリーを5-6軒試しているが、どこでも例外がないことがある。日本ではエクレアはすでに袋に入っていて、それをさらに紙の箱に入れてくれるようだが、わが町では2-3個のケーキをその都度紙に包み、持ちやすい形にして手渡してくれる。端を折り込んだり、セロテープを貼ったりして形を整えている。最初は何でそんな面倒なことを、と思っていたが、ケーキと同じく手作りであるべきだという哲学でもあるのだろうか。最近では人間が生に感じられるその包みを掌に載せたり、小さな鞄を持つようにしながら帰ってくるのが楽しみになっている。






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