vendredi 5 juin 2015

米・仏会議で日・仏を語る

5 juin 2008
 

昨日はパリ大学の研究所IHPSTで行われたシンポジウムに参加してきた。ピッツバーグ大学とパリ大学の共同ワークショップで、今回が最初のようである。テーマを大雑把に言えば、生物学・心理学の哲学だろうか。

このワークショップで思わぬ出会いがあった。日本からこちらに3ヶ月の予定で滞在されている科学史家の伊藤憲二さん(総合研究大学院大学)と初めてお会いしてデジュネをともにしながら、この分野のお話を伺うことができた。わたしの感触もそうであったが、日本では科学哲学や科学史と実際の科学との接触は極めて稀とのこと。この両者が相互に全く関係なく仕事を進めていることになるが、お互いにとって不幸な状況に見える。何とかならないものだろうか。ただ、日本で科学を対象に研究している文系の人口もそれほど多くないようなお話だったので、どうしてもサロン的にならざるを得ないのかもしれない。

今回参加したセッションでは、半分くらい科学者が話をしていた。科学者の中にはそのテーマに哲学的な含みを持っている人がいたり、哲学的問いに答えるために実験をしているのではないかと思われる人もいたりして、興味深いものがあった。

伊藤氏によると、この分野の研究者の集合の度合い、研究会やセミナーの充実振りは、ひょっとすると世界でパリの他にはないのではないかとのことであった。わたしのレベルではまだそこまで目は行っていないが、研究者にとっては有り難い環境のようである。また、今回の発表者の中にはピッツバーグ大学で研究されている日本人の若手、石田洋一さんが含まれていたが、残念ながら2日目には参加できずお話する機会は得られなかった。

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ところで、昨日発表したアメリカの大学教授の考えに共鳴するところがあった。それは学生に知識を問う試験をするよりは、teaching assistant のような形で教える経験をさせる方が身に付く知識を得られるのではないかとのお説。わたしなどは学生としてほぼ完全に同意していた。 もちろん、この他に論文は準備するのだが、、。

それから以前にも感じたことであるが、アメリカの学者(あるいはアメリカ人)は声が大きい。国が大きいためにそうなるのだろうか。相手がどのような人なのか想像できない国に住んでいると、想定しなければならない範囲が大きくなるためかも しれない。ただ、こちらにいると機微を排した機械的な響きがする。日本などはフランスにより近いように見える。ただ、アメリカナイズされてくると声は大きくなる傾向もあるよ うだ。


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5 juin 2015

パリの研究環境についての記載がある

当時は評価のしようもなかったが、確かにいろいろな研究会の案内が週に何度も送られてくる

その気になれば、幅広く学ぶこともできる

これまでは自らの領域以外のところで羽を伸ばしていたので、その気にはならなかった

そして、今は論文を書いているところである

これが終わり、今度は自らの領域の中で羽を伸ばすことができるようになることを願っている





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