mardi 16 juin 2015

枠組みを取り払えるか

16 juin 2008
Adolphe Franck (1878) 


離れて日本を見る
どこもかしこも儲かるか儲からないかの枠組みしかない貧しさだ
もはや すべての人にこれが組み込まれているかのように
しかも その意味を疑うことがない
あるいは その枠の中にいることさえ気付いていない

フランスで哲学を学び始めて 何かのためではなく
そのもののためだけに考えることがありうることに驚く
その態度を知ってしまうと それ以外が浅いものに変わって行った


枠組みを取り払って考える
この過程を経ないところからは 何も見えてこないだろう
それは生きる術ではなく 生の理解にわれわれを導く

このことを体で感じただけでも ここでの時間に意味があるのかもしれない


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15 juin 2015

こちらに来てから常に考えていることは、無意識の内にある思考の枠組みの問題である

 如何にしてそこから自由になることができるのか

結局は、すべてがここにかかってくるように見える

いつも同じ場所にいたのでは、そのことになかなか気付かない、

そこではしばしば状況に任せた乱暴な思考が氾濫する

状況に任せているため、言葉も不正確に雑に使われる

その状況を客観的に見ようという意思も失われる

丁寧に厳密に検討することをやらなくなるのだ

今目にしていることが決まりきった枠の中にしかないため、そこに新しい要素を見つけることもできない

このような行き詰まりから抜け出すためには、別の世界から眺めることが不可欠になる

物理的に場所を変えることができればよいが、精神的にも場所を変えることができる

それが人類の遺産の中に入ることである


今、文系の学部の検討が進められようとしているという

そこで起こることは、袋小路に入った時に逃げ場を見付ける術がなくなることである

現実の「いま・ここ」にしか頭が働くなる窮屈で、囚われたままの世界が目の前に展開する

そこで有効になるのが人類の遺産であるとすれば、その研究は必須になる

それは、最終的には人間の自由を保障することに繋がるのではないか

文系の人に限らず、この問題にそれぞれが解を模索しなければならないだろう

わたしが行っているSHEPAWLの活動も、この視点から見直してみる必要があるかもしれない

一つは、大学の文系の学問を在野で補完する場として捉え直すことができそうである

そうすると、新たな活動の方向性も現れてくる

極論すれば、文系の学問は大学にいなければできないものでもないからである

寧ろ、そこから離れた方が面白いものが出てくる可能性さえあるのではないか

これからのテーマになるだろう





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