mercredi 18 juillet 2007
時差ぼけの朝、あるいは重層的にものを見る au matin de décalage horaire, regarder de vue multiple
時差ぼけのため、朝4時頃に目が覚める。テレビをつけると Inside the Actors Studio という以前にも取り上げた番組の最後の方が流れている。今回はシシー・スペイサックで、学生の質問に答えている。フランス語の字幕が出ているので、英語を聞きながらフランス語を口に出してみる。ある感情を表すためにはこういう表現があるのかということがわかり、英語を介してフランス語の話し言葉を覚えるというのも案外面白いかもしれな い。
さらに続けて、Science en Conscience という番組では生命倫理の問題を取り上げられている。
● éthique と économie が incompatible。
● 市場があるのか、ないのかが問題になる。
● 生物学研究に市場の原理が入り込んできている、それが大きな問題。
● 国が研究に入りこむためには限度がある。
● 研究は本来 philanthropie でされるべきもの。
● 遺伝子の特許の問題、成果は本来共有すべきはずのものだが、それが妨げられる可能性がある。それはすなわち、進歩の阻害につながる可能性を含んでいる。
● 遺伝子を含めた人体が商売の対象になっている。= "人体の商業性 commercialité de corps humains"
● あることがどういう意味があるか、考える前に、意味がわかる前に、物事はどんどん先に進んでいる。意味よりも市場原理が事を動かしているからだ。
病気の起源、治療の方法などは遺伝子の配列からある程度わかるようになるだろう。その場合、哲学の出番などないのではないか。哲学の中に閉じ篭るのではなく、科学データを想像力を交えて考えるという哲学のやり方を考えなければならないのかもしれない。あるいは、それしか有効な方法はないのかもしれない。
テレビを見ながら、手に入る情報は日本と余り変わらないのではないかと感じる。もちろん、カバーされる領域が、たとえば地理的な要因で変わってくることはあるだろうが、、。その情報を受け取る側が今までと同じところにいた場合には、そこから得られるものは少なくなるだろう。場所を変える意味は余りないかもしれな い。問題は、受け取る側が元の立場を離れることができるか、そこから飛ぶことができるか、彼らの視点の根に入ることができるかどうかが事を決めるような気 がする。それができれば、情報の意味がこれまでとは変わってくる可能性があり、その時初めて事の重層性に触れ、より深い理解につながるような気がする。物事の多面性、その陰影を感じ取ること、それが取りも直さず 「この世」 (現在、過去、未来のすべて) を理解する上で大切になるのではないだろうか。そんなことを時差ぼけのパリで考えていた。
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写真を見ていて、こちらで撮った空の色が違うことには気付いていたが、今回もそういう写真が多い。そしていつものことながら、雲の姿にも惹き付けられている。