samedi 12 janvier 2008

写真を撮ること、生きること




昨日の余韻が残っているようだ。これまでに仏のハンモックで触れたこともあるが、意識的に写真を撮るようになったのが2年ほど前になる。それ以前には、撮る時に神経を使い場面を選び、出来上がった後はその時に見る程度で放って置くというのが写真との付き合いだった。それが変わったのは、カメラがデジタルになり、ブログに写真を載せるという作業が入ってきたためである。その過程で気付いたのは、写真を載せる時にその写真を良いと思うかどうかが問題で、撮った時の自分は余り (ほとんど) 問題にならないということである。これに気付いた時、写真の良し悪しをその時に決めるのではなく、とにかく撮ることが重要になってきた。それ以来、未来の未知なる自分に向けて撮るという考えが固まったようだ。

それで気付いたのは、生きることとの関係である。ひょっとすると私の場合、写真を撮るのと同じように生きているのではないか、ということである。まず現在にどのような意味があるのかはわからない。その意味が出てくるのは、いつかはわからない将来である。言ってしまえば、この世を去る時にこれまでのすべての意味がはっきりするのかもしれない。そうすると、今を将来の何かのために生きるということにほとんど意味がなくなるのではないか。意味のわからないものに向かって今を使うこと、犠牲にすることが自分にとってよいことなのだろうか。つまり、その時のために生きる、その時を生きるということこそ、やるべきことなのではないか。いつしかそれが自分に一番しっくりくる生き方になってしまった。そしてその時の意味がわかるのは未来になるということが意識されると、その時に気が抜けなくなったのである。また、その (大きく言うと存在の) 意味を知りたいという想いが強いために、その時に精一杯息を吹き込むのかもしれない。そうすると、すべてがスリリングに見えてくるから不思議だ。

ところで今日の写真にあるチュニス。北アフリカのこの地域にはいずれ足を運んでみたいという想いが再び湧き上がってきている。



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