dimanche 24 mai 2015

一夜明けて、あるいは昔の将来計画

24 mai 2008

今朝はバッハより小鳥の囀りや木々のざわめきを欲していた。昨日は感じなかった解放感が少しあるようだ。昨日の領域については9月にもう一度チャンスを与えてもらえるのではないかという期待と(学生に聞いてもシステムがどうなっているのかよくわからないという。事に対するそのような対し方が何とも言えずよいのだが)いよいよあと一つだけになったという安堵感のためだろうか。

日本語用パソコンの動きが鈍くなってきたようなので、データを外に保存することにした。次第に使わなくなっている日本からのデータを移すことにした。出すべきファイルを選んでいる時、日本で考えていた将来計画のファイルが出てきた。そんなことをしていたこともすっかり忘れていたので読み返してみると、日本を離れる2年ほど前から本格的になっている。

最初の頃は特に外国で仕事を続けるための模索を繰り返している。それとは別に、フランスで思索生活をするというのも選択肢の一つには入っていた。しかし、それはぼんやり とした夢のようなものであったことも分かる。それを真剣に考えるようになったのは、日本を出る1年ほど前にフランスを訪問した後だった。ただ、その時にもよもや学生で来るなどとは考えておらず、それが具体化したのはこちらに来る数ヶ月前のことであった。

そこまでは大体覚えていたが、そのファイルの中に思い掛けない記述が見つかった。5年後の予想をしていたのである。それはこちらの大学からの返事を待っている時期に当たる。こんなことを書 いたことなど全く覚えていなかったので驚いた。

その時の感覚をこう分析している。それまで科学の世界で生活していた時に比べると、エネルギーのレベルが落ちてきていてると書かれてある。おそらく、科学をするために日常と違うレベルに自らを持ち上げていたのではないか。最初の段階では、科学の仕事に向かう時には日常とは違う世界に意識的に自分を持って行っていた可能性がある。しかし、次第に無意識の内にそうなっていたのではないだろうか。科学の中にいる時には、この状態をずーっと保っていたように思う。そこから離れ日常の世界に意識が戻ってくると、それまで別世界にいた状態を支えていたエネルギーが必要なくなり、そう感じたのではないだろうか。

そういう状態になると他の人との壁がなくなり、当時流行っていた言い方に倣えば「共感力」が増したように感じているとも書かれてある。そう言えば、最初のブログ「ハンモック」でも同じような観察を書いたことを思い出す。その上で15ほどの相互に対立しない5年後の予想が書かれてあった。そんなことを考えていたのかと大いに参考になった。まさに、1年前の自分は自分にあらずである。将来、タイムカプセルを開けるようにそのファイルを取り出し、改めて眺めてみたいものである。


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24 mai 2015

記事にある昔描いた将来のイメージを7年振りに読み直してみた

中には、的外れのものもある

しかし、半分くらいはその方向に歩んでいたことが分かる

ただ、いずれも道半ばという判定を下さざるを得ない

 今度このカプセルを開けるのは、いつになるのだろうか





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