samedi 31 octobre 2015

予定を変更して

31 octobre 2008
 


今日は研究所に行くつもりで出たが、メトロの中で気分が変わっていた。

結局、République で降り、歩いているとリブレリーが目に入ったので覗いてみることにした。

店内の写真撮影もOKとのことで気分よく見て回る。

先日ブルターニュのPさんから紹介された小説もあった。

他にも目に付いたものがあったので一緒に仕入れる。

少し歩いたところでカフェに入り、いつものように早速読み始める。

Pさんは日本の文学に造詣が深いこともあり、サンパウロが舞台のお勧めも日本と関係がある。

彼女のサイト ASHITA はこちらになる。


人文科学の研究者の息抜きについて去年不思議に思っていた。

しかし、小説などはその中に入ってくるのかもしれない。

まだそれだけの余裕もないのだが、気が向いた時に読むことになるだろう。

リブレリーで目に入ってきた景色をいくつか。







1 novembre 2008

同じ写真を仏版にも出したところ、Pinson氏からコメントが入った。

どの写真にも共通して見られる視線について触れている。

これは自分でも気付かなかった。



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samedi 31 octobre 2015

この界隈には、今でもたまに出かける

このリブレリーは、何年か前に火災に遭ったが、今は持ち直している

こちらに来てそれぞれのリブレリーが持つ特徴に目が行くようになった

何気ない本の置き方に美しさを感じたが、それは今でも消えていない





vendredi 30 octobre 2015

インタビューの翌日に、そしてパリで chic なこと

30 octobre 2015
 


昨日のインタビューは調べ物をしながら本を読んでいる人が周りにいる中で行われた。この様子を見ながら、日本ではノーベル賞受賞者のインタビューをこのような状況ではしないだろうという思いでいた。大仰にならず、何気なく事を進めてしまう彼らのやり方や事に対する感じ方はやはりよい。

ところでフランソワーズ・バレ・シヌシさんの話を聞きながら、余り感動しなくなっている自分を確認していた。確かに一つの病気の原因に迫る研究成果は素晴らしいものがあるが、体全体が震えないのである。現役の研究者から確実に退きつつあることを感じていた。そして、インタビューの受け答えを聞きながら、この感覚はおそらく彼女も共有しているのではないかという印象を持った。確かに賞を貰いある満足は得られたのかもしれないが、それで死んでもよいというほどのものではないだろう。今の私から見ると20-30年というのはそれほど前には感じないのだが、彼女にとってはかなり昔のような話し振りで、当時の感触(感激)を今のものとすることが難しくなっているように感じた。さらにエイズの問題は全く解決していないということもあるだろう。彼女の場合には患者さんのもとに下りて社会とのつながりを意識したような研究や社会的活動により深い満足を求めようとしているのではないかと想像していた。結局、人は人間全体を使うようなところでしか満たされないのではないだろうか。そして科学は一つの大きな入り口ではあるだろうが、人間活動のほんの一部にしかなりえないような印象がある。ただ、科学の世界がすべてだと思える人は幸せなのかもしれないという思いでもいた。


今日のENSでのクールは新しい先生(40代前半か)が担当。頭を短く刈っているためか仏教の僧侶の風貌がある。学生がなかなか集まらないので、こんなことを言っていた。パリでは5-6分遅れてくることが chic なんでしょうかね。こういう言葉が出てくるのを興味深く聞いていた。そして18世紀フランスの数学者にして生物学者、博物学者であるのみならず、ヴォルテール、モンテスキュー、ルソーとともに18世紀の四大文章家としても名を馳せたこの人の話を始めた。パリ15区、パスツール研究所の近くには彼の名を冠したリセがあり、しばしばその前にたむろする学生さんを掻き分けて通り過ぎる。


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vendredi 30 octobre 2015


この記事では、かなり本質的な指摘がされている。
 

それは現在のわたしの認識にも近いものがある。
 

当時の観察が7年の間に確信に近いものに変容してきたとも言えるだろう。

それは、科学だけで人はどれだけ満足を得られるのか、という問題である。
 

ノーベル賞と言えども一つの賞にしか過ぎない。
 

それで人類の問題を解決することなど不可能だろう。
 

一見解決したかに見える発見でもその後に新たな問題を生み出している。
 

例えば、ペニシリンの発見などはその中に入るだろう。
 

エイズウイルスの発見にしても入口に立ったにしか過ぎないことが明らかになっている。
 

同様の例がいくつも浮かんでくる。

 

それでは何が人間に幸福を与えるのだろうか。
 

その解はあるのだろうか。
 

今は分からない。
 

しかし、科学が人間を幸福にするとは考え難いという感触だけは確かなものになりつつある。







jeudi 29 octobre 2015

フランソワーズ・バレ・シヌシ博士のインタビューに同席する

29 octobre 2008


Dr. Françoise Barré-Sinoussi, Prix Nobel 2008

 
ノマドが巡り会う道行きの神の仕業だろうか。二日続けての嬉しい出会いとなった。

今日も午後から研究所に出かける。しばらくするとビブリオテクの人が数人を連れて現れた。お連れの方に聞いてみると、ノーベル財団の仕事で受賞者のインタビューを制作しているアメリカの3人組。1時間後に私の目の前で今年のノーベル賞を受賞したバレ・シヌシさんのインタビューが始まるという。彼らの仕事振りを見ていると、熟達の人たちという印象で気持ちがよい。貴重な経験なので今日も予定を変更せざるを得なくなった。

インタビューが始まる前、バレ・シヌシさんはまだ新人なので "very nervous" であると言っていた。インタビューで出ていた質問は次のようなことである。

ウイルスとは何か
レトロウイルスとは何か
ウィルス学を定義するとどうなるか
ウイルスの研究のどこが面白いのか
30年の研究生活は楽しいものだったのか
どのようなきっかけでエイズの研究に入ることになったのか
これがエイズの原因だとわかった時の興奮とはどんなものだったのか
当初世界的に感染が広がると予想していたか
エイズウイルス発見から20年以上経つがまだ有効なワクチンも開発されていないが何が問題なのか
アフリカやカンボジア、ベトナムではどのようなことをされているのか
モンタニエ博士との共同研究はどのようなものだったのか
ノーベル賞受賞はどのような状況で聞いたのか
あなたの研究は基礎から臨床へと進んでいった点で満たされるものがあるのではないか
人を助けていることの喜びとはどのようなものなのか

彼女がエイズにレトロウイルスが関係していることを明らかにした時の状態は、興奮というよりいかにして世界を納得させるのかが問題だったので、やることが山のようにあったとのこと。彼女の研究はどこにでもある(ルティーンの)手法で行われたものであること、それから多くの専門の異なる人たちの智慧の結集であること、したがって今回の受賞も二人だけのものではないということを強調していた。

彼女は以前からアフリカやカンボジア、ベトナムで共同研究や研究指導などを行っている。受賞の知らせを聞いたのは、そのカンボジアでのミーティングで発表している時。フランスのラジオ局の人からの電話で知ったそうだが、全く信じられなかったとのこと。エイズウイルスの研究がノーベル賞を貰うとしても自分がその中に入るとは思っていなかったようである。その後カンボジアの病院を訪ねた時に、若い女性のエイズ患者が彼女にキスをしてこう言ったという。「あなたは本当に素晴らしいことをしてくれました、あなたのお陰で私はこのように治療を受けていますが、まだその恩恵に与っていない人がたくさんいます」。そして、お互い抱き合いながら泣いたらしいが、素晴らしい瞬間だったと数週間前の出来事を語っていた。これは常に病める人のいるところに出かけて行って研究を考えるというパスツールの基本姿勢を実践していることになるのだろう。こういうところにもパスツールの伝統が息づいているという印象を強く持った。


インタビューは数ヵ月後にはノーベル財団のサイトで見ることができるとのこと。
今日は一足早く味わった直後のアップとなった。


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jeudi 29 octobre 2015

このような場面に単独で出会うことができるということは、日本では想像ができない。
 
先日のアンジェ美術館でもすべてを独り占めにするという経験をした。
 
美術館での同様の経験は、こちらでは稀ではない。
 
対象との垣根の低さを感じる経験と言っても良いのだろうが、有難いことである。








mercredi 28 octobre 2015

パトリック・フォルテール博士、微生物を語る Patrick Forterre parle des microbes

28 octobre 2008
 


先週、度が合っておらず、しかも焦点の範囲が狭いレンズを使っていた眼鏡を作り直してもらうことにした。出来上がる日だったので出かける。レンズは手元に届いているがまだフレームに入れていないのでもう少ししてから来てくださいとのことで時間を潰す。これ以上範囲の広いものはあるのか聞いてみたが、これが最高だと言う。諦めの気持ちで戻ってみると前回よりは明らかに良くなっているが、これまでの方が見やすい。ただ、頭痛と眩暈がしそうな前回のものと違って慣れると何とかなりそうな印象である。今日から使ってみることにした。

午後から研究所へ。入り口にあった案内で1時間ほどで講演会が始ることを知る。今年の2月にあった 「生命を定義する」 というコロックで話を聞き興味を持ったフォルテールさんが「微生物:友か敵か」という題で話をするという。予定を変更して聞きに行くことにした。

非常に面白い話であった。彼の話は時間軸が永遠に近いほど長く、生命の歴史を感じるので気持ちが良い。微生物が友か敵かという二分法では答えが出ないことがわかる。前回も聞いたことだが、目に見える動物、植物、カビの類は恰も地球の主役のような顔をしているが、微生物こそ圧倒的に多いのである。微生物こそ主役で、それ以外は添え物だと今回も主張していた。現に微生物はわれわれの外だけではなく内にも溢れている。外のものはしばしば悪さをするが、内のものは普段はわれわれのためになっている。さらに、微生物がないと気分を晴らしてくれるわれわれ(私)の偶の楽しみも味わえなくなるだろう。植物を合法化でもしないとならないかもしれない。彼らが先に生まれているせいもあるのだろうが、われわれの遺伝子の80%くらいはウイルス由来である。この世界の出来事はその善悪を直ちに決め付けるのではなく、まずあるがままの姿を見て、理解しようとすることが大切なのだろう。

今回の話の中に私が考えている問題の重要なヒントになりそうなことが隠されているように感じたが、まだどうつながるのかはわからない。それから興味深い科学者が数人紹介されていた。これから少しずつ調べて行きたい。会場は外に向けての講演会だったようで、年配の方が多かった。講演終了後、英語訛りや外国語訛りも混じった質問が続出していた。フォルテールさんの方がこの辺で止めましょうと言って会は終った。終了後頭の中がシャッフルされたようになり、当初の予定が手につかなくなっていた。

閉館後、外に出ると雨。いつものようにそのまま歩く。いつからこれが気にならなくなってきたのだろうか。アパルトマンにつく頃には雨は上がっていた。



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mercredi 28 octobre 2015

ここにも書かれている通り、フォルテール博士の話は科学的にも興味深く、時に挑戦的なことも話すので面白い。今思い当ったのだが、表情はどこかテリー伊藤さんに似ていないこともない。今回書いたテーズにも微生物が重要なところで出てくるが、多くの示唆を与えてくれた。この中にある「微生物がないと気分を晴らしてくれるわれわれ(私)の偶の楽しみ」が何を指しているのか暫くの間よく分からなかったが、眺めているうちにお酒のことを言っているのかもしれないと思い当った。






mardi 27 octobre 2015

日曜の午後、街に出て散策と読書

27 octobre 2008



昨日、シオランを味わった後、少し内省的な気分になる。午後をどのように使おうか考えている時、普段ほとんど使われていない古いメールボックスに日本からのお付き合いになるブルターニュのPさんからメールが入っているのに気付く。最近彼女について触れた仏版ブログの記事を目にしたのか、近況報告と共にいくつかお勧めの本が書かれてあった。また、別のボックスには日本のY氏から私が日本の学会のニュースレターに書いたエッセイについて熱のこもった (passionnant) なコメントを寄せてくれた。このような反応には本当に生気を与えてくれる力がある(revigorant, vivifiant とでも言うのだろうか)。ということで、午後からPさんに紹介された本などを探すために街に出ることにした。シャトレの辺りを中心に散策する予定で。

ところが出掛けに手にしたドイツのヴァイツゼッカー(ヴィクトール・フォン)の日本語訳文庫本をメトロで読み始めると面白くなっていた。まず人間が複雑である。その上、ナチとの関係、学会との関係、フロイトとの関係なども一筋縄では行かない。その人間像と彼の考えを知りたくなり、リブレリー巡りを諦めシャトレのカフェで数時間過ごす。日曜の午後、普段読むことがなくなっている日本語の本をパリの街中で読むのも悪くないな、という思いが湧いていた。それから周辺の町並みを鑑賞しながらゆっくりと散策し、セーヌを渡ってオデオンまで出た。パリの町は切り取るところが至るところに転がっているという印象である。

それにしても今頃冬時間に移行したことに気付くとは。
去年と同様にパソコン時間より部屋の時計が1時間進んでいることでわかる。
狐につままれたような時間は今年は非常に短かった。
時の経つのは本当に速い。


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mardi 27 octobre 2015

この記事にある「出掛けに手にした」本が意外に強い印象を残すことにその後気付くことになった。限られた時間、立ったまま読むことが集中力を増しているのではないかと想像しているのだが、、。出口近くの本棚を眺め、適当に本を取り出し、その場で少し読み、よく入ってくるものをそのまま持って外に出るのである。そこには日本語の本が多いため、持ち出す本もほとんどの場合日本語の本である。 つい先日のアンジェに向かう前には、トルストイの『人生論』を持ち出し、多くの発見をした。

今年はこの日曜から冬時間が始まった。最近は1日前から時計を調整するようになっている。それだけ生活に余裕が出てきたということだろう。





lundi 26 octobre 2015

Documentaire Emil Cioran - Roumanie -

26 octobre 2008


今週火曜が休講になったので塊の休みをもらったような気分。

今日も天候が冴えない。

もう一日のんびりしてみようという気になってくる。

昨日の余韻が残っているようだ。

シオランの人生と言葉を見ることにした。






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lundi 26 octobre 2015

前日のブログで、それ以来シオランには触れていないのではないかと書いたばかりだった。

早速、裏切られた格好だ。

記憶が如何に当てにならないのかが分かる。

これ以後も読んでいた可能性は十分にありそうだ。

残念ながら、7年前に見たビデオは削除されていた。





dimanche 25 octobre 2015

エミール・シオランの言葉 Cioran dit...

25 octobre 2008
 


彼のことを知ったのは、2年ほど前の真夏の夜のカフェ。フランス人Fとの会話の中であった (2006-08-04)。それ以来、どこかで引っ掛かる存在になっている。

Émile Michel Cioran (8 avril 1911 en Roumanie - 20 juin 1995 à Paris)

外は曇り空。予定を変更して、アパルトマンで物憂い土曜の午後を過ごすことにした。その時、彼が浮かび上がってきた。彼の「生誕の災厄」のページをぱらぱらと捲ってみる。


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Je ne fais rien, c'est entendu. Mais je vois les heures passer ---- ce qui vaut mieux qu'essayer de les remplir.

私は何もしない。よくわかっている。しかし、時が過ぎ去るのを見ているのだ ・・・ その時を埋めようとするのがよいだろう。


Chez certains, tout, absolument tout, relève de la physiologie : leur corps est leur pensée, leur pensée est leur corps.

ある人においてはすべてが、まさにそのすべてが生理により支えられている。つまり、彼らの体が思想であり、彼らの思想が体なのだ。


À regarder les choses selon la nature, l'homme a été fait pour vivre tourné l'extérieur. S'il veut voir en lui-même, il lui faut fermer les yeux, renoncer à entreprendre, sortir du courant. Ce qu'on appelle « vie intérieure » est un phénomène tardif qui n'a été possible que par un ralentissement de nos activités vitales, « l'âme » n"ayant pu émerger ni s'épanouir qu'aux dépens du bon fonctionnement des organes.

自然に応じて物を見るために、人は外に向かって生きるように創られた。もし自らの中を見ようとするのであれば、目を閉じ、物事を始めることをやめ、流れから抜け出さなければならない。内的生活と言われるものは、われわれの生命にとって必須な活動を減速することによってのみ可能になった遅れてあらわれた現象であり、臓器の健全な機能の犠牲の上にしか精神が顔を出すこともそれが開花することもなかったのだ。


Que faites-vous du matin au soir ?
― Je me subis.

― あなたは朝から晩まで何をしていますか?
― 私に耐えています。


Je n'ai pas rencontré un seul esprit intéressant qui n'ait été largement pourvu en déficiences inavouables.

「口には出せないような欠陥のない興味深い精神には私は一度たりとも出会ったことはなかった」


Ce que je sais à soixante, je le savais aussi bien à vingt. Quarante ans d'un long, d'un superflu travail de vérification...

「私が六十で知っていることは、二十歳でもしっかりと知っていた。40年という長い無駄な検証作業 ・・・」


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« De l'inconvénient d'être né » (「生誕の災厄」)




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dimanche 25 octobre 2015

これ以来、シオランを読むことはなかったのではないだろうか。

ただ、ここにある言葉が蘇ってきたことがある。

2009年、イスラエルのホテルで自らの体を見た時、一番長い引用が突然浮かんできたのだ。

そのことはあるエッセイでも取り上げたことがある。

これから先、シオランを読むことはあるだろうか。





samedi 24 octobre 2015

リブレリーのウィンドーを覗く

24 octobre 2008



今年のヴァカンスに注文したアマゾンの配達に問題があり、数回の注文がすべて届かなかった。ドイツからのものや古本なのでおそらくアマゾンと契約しているフランスやイギリスの本屋からのものである。それ以来、面倒なのでしばらくの間使っていなかったが、最近フランスのアマゾンに注文を出してみた。以前はアパルトマンに配達してくれたのだが、今回も郵便局まで持ち帰っていることがわかった。今朝その本が実際に届いているか確かめるために出かけた。プリンタ・ カートリッジをリサイクルに出すためのパックを持って。




今日は列に並んでいる時に係の人が来てパックを預かり、郵便物受け取りのギーシェ まで案内してくれた。アマゾンの本も届いていた。これが当たり前なのだが、事がすんなり進んだのでそのまま街に出ることにした。ウインドー・ショッピングとリブレリーで見つけた本数冊を仕入れる。






カルチエ・ラタンのカフェを梯子して手に入れたばかりの本を摘み読み。
帰り、外に出ると丁度雨が降り出したところだった。






vendredi 23 octobre 2015

パンテオンに彫刻 Rabarama et Panthéon

23 octobre 2008

Rabarama ou Paola Epifani (1969- )


今朝のENSのクールの帰りにパンテオンに出てみたところ、彫刻がいくつか目に触れた

先日ソルボンヌ広場で目にしたものと同じ作風だ

イタリアの女性彫刻家、ラバラマことパオラ・エピファニさんの作品群であった

素晴らしい秋晴れの下、気持ちよく受け入れることができた







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vendredi 23 octobre 2015

この日のことは、はっきり覚えている

講義の前後にパンテオンの辺りを歩く時、心の中が澄み切ったように感じた

あの感覚は初めてのものだったように感じていたのではないだろうか

それは、精神を力強く前に進める力を持っていた

人類の遺産に誘う力を伴っていた


これらの小さな積み重ねがこの精神に見えない活力を与えていたのではないか


そんなことを今改めて思う





jeudi 22 octobre 2015

時の流れの違い、そしてK先生からの礼状

22 octobre 2008 
 


クールが本格的になってきた。M2のクール数は半分になっているが、一つひとつの密度が濃くなってきている。自らがそこに参加する機会が増えている。それ故大変だが、それだけ面白そうだ。こちらのシステムに次第に組み込まれていくという印象がある。こちらに来る前にフランスのL氏からいただいた言葉の中に、「単なる目撃者 (le témoin) としてだけではなく、その当事者 (l'acteur) として積極的に働きかけることを願っている」 という一節があり心を動かされたが、今まさにその実行を始めているという思いが生まれている。

ところでこのような歩みの中、新学期が始る前にこれからの1年をぼんやり考えることがあった。その時の印象は1年は何と短かく、こんな時間で一体何ができるのだろうというものであった。手帳のカレンダーを眺めていると、昨年のことを考えてもあっという間である。しかし、クールが本格的になってくるとその印象が変わってきた。今まで上から見ていた視点が下に降りてきて、1年先が全く見えない状態になってきた。丁度、新天地に来て慣れ始めた時に感じた視点の移動と同じ感覚である。再び地に足をつけて歩むことができるようになったということだろう。そうすると時の流れを自らに引き付けている、あるいはその中にどっぷり浸かっているように感じてくる。今まで流れ去るままに眺めていた時間が自分のところに還ってきたと言ってもよいだろう。そうすると、これから先いろいろなことが起こり、どのようなことになるのかわからない、さらに言うと変わりうる機会が増えてくることがわかってくる。その期待感こそ充実した時間をもたらしてくれるのだろう。どうも変わりたいと強く思っているようだ。

先日メモワールとしてどんなものを書いたのかを知ってもらうために出来上がったものをK先生に送ったが、その礼状が届いていた。この夏のバカンスで30年ぶりにお会いしたのを機会に手紙が数回往復するようになっている。今回先生が学生時代にフランス語を勉強していたことを知り驚いた。研究者になってからフランスの論文を読んで以来使っていなかった辞書を取り出して、私の拙い論文を読み始めているという。最初の方の要約が添えられ、これで問題がないかとのことであったが、正確に内容が把握されてまだ錆び付いていないようである。そして、現役の時代には電磁波の研究をされていて、その研究班を作ったり全国を講演して回られたようである。その時に出る質問の中で最も多かったのが、電磁波は健康に影響するのかというもので、それ以来健康とか病気、病理などについて疑問を持つようになったので、これから先を読むのが楽しみであると書かれてあった。修士の書いたものをここまで真剣に読んでもらっていると思うとありがたく感じると同時に、このテーマについてディスカッションをお願いしたいという気にもなっている。



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jeudi 22 octobre 2015

1年のカリキュラムを見て、その短さで一体何が学べるのかと思ったとある。このことは、つい数日前にある方との会話の中で語ったばかりであった。前期と言っても日本の語学学校の一期3か月程度の長さしかない。そこで何かできるのかと思ったのである。しかし、振り返ってみると、日本の場合、仕事の空き時間でやっているという感覚があるが、こちらの場合はそれを中心に回っているところが大きな違いになる。それにしても短い時間であるが、そこには想像しなかったものが詰まっている。この記事にもあるが、視点が下がってきてその中に包まれるという感覚が生まれてくるので受け取るものが大きく感じられるようになるのである。

ドクターに移る手続きの際、事務官にこれまでどこでマスターの教育を受けて来ましたか?という質問を受けた。その時初めて、わたしはそれまでの2年間、フランスの大学でフランス式の哲学の教育を受けていたのだということに気付いたのである。マスターの2年がなければわたしのフランス留学は殆ど意味を持たなかったのではないか、あるいは全く違うものになっていたとさえ思われるくらいである。今では苦しかったマスターの時期が何ものにも代えがたい貴重なものに見え、その感は年々深まっている。







mercredi 21 octobre 2015

インタラクティブなクールが始り、いくつかのインタラクションがある

21 octobre 2008
 


昨日は遅くなったが、結局最後まで行かないまま今日のクールを迎えた。始る前に近くのカフェでショコラ・ショーを飲んでいる時、前に見えた草を食む馬の絵に引き込まれていた。木の陰が昔見たどこかの景色を思い出させたのかもしれない。今日も雨であったが、傘なしで出かけた。ホールで待っている学生さんにフランス人は雨でも傘をささない人が多いですね、と聞いてみると、オックスフォードに1年ほどいたという先日一緒になった学生が、イギリスでは傘は "obligatoire" (さすのが当たり前)と言っていた。イギリスと言えば、雨が降っていなくても傘を持ち歩いている紳士を想像してしまうところがあるが、海峡一つ越えると全く逆の行動になるとは面白いと思いながらこの話を聞いていた。

クールは今日から本格的になった。以前に少し紹介したように、指定された論文についてコント・ランデュした後にディスカッションをするというスタイルである。今日は2つの論文が取り上げられ、若い学生と大学勤めの後と思われる方の2人が15-20分程度話をしていた。ディスカッションが終った後に全員に意見を求められた。私自身は準備不足もあり全般的な話をしたが、真摯に対応していただいた。ただクールの最後に独り言のように課題の論文は必ず読んでくるようにという指導教授の言葉は耳に痛く響いた。これは当然なのかもしれないが、クールの進め方が熟達していることに感心する。それと学生の方の反応が非常によい。これがこのようなクールをうまく進める上で重要になるのだが、それが機能している。コミュニケーションのために言葉をできるだけ正確に使おうとしているように感じる。簡単に言うと、言葉が生きているという印象である。こちらが不自由だからそう感じるのかもしれないが、、、。理系での経験しかないが、日本ではなかなかこうはいかないのではないだろうか。

今日の中休みも前回と同じメンバー4人で向かいのカフェで雑談する。前回より、少しこなれてきたようだ。手巻き煙草の彼女はもともと哲学専攻なので、よく話すし鋭い。哲学なので言葉が命というところがあるのか、言葉に力があり、理系の者から見ると体一つで生きている逞しさを感じる。

クールが終わり、少し歩くと先日話題になったお茶の寿月堂が目に入ったので中に入ってみた。調べた住所がセーヌ通りになっていたので勝手に川沿いにあるものだと思っていたので、こんなところにあったのかという嬉しい驚きとなった。こじんまりした静かなお店に熟練の店員さん2人が迎えてくれた。一般論だが、日本女性の人当たりはこちらの人と違いやはり柔らかい。抹茶入りの玄米茶というのを出され気分が落ち着いたので、同じものを手に入れて書店に向かった。今日は7-8冊が目に入ってきた。そこで何か入ってくるものがないか探している時に、同じクールに出ているリセの哲学プロフェッサーが話しかけてきてくれた。彼女は何と朝5-6時に起きてランスから通っているという。彼女も言葉の歯切れがよく、こちらを覗きこむようにして話をし、また聞いてくれるので非常に話しやすい。そうしているところに、少年のような瞳をしたParis 4のTP氏が通りかかり立ち話をする。彼が私のメモワールにクリティークを加えてくれたが、非常に鋭くこういうものの見方をするのかというところがわかり大いに参考になっている。そのクリティークに答えるのが大変で、現在もその作業中であることを伝える。こういう出会いは嬉しいものである。

2時になるのを待って、先日から問題になっている日本流に言えばM1の単位のことを確かめるため大学に向かう。オフィスに入ると先日とは違い、何しに来たのというような感じでテンションが非常に低い。事情を確かめるとあなたの場合は全く問題ありませんと、最初から何もなかったかのような回答。よくよく考えてみれば、指導教授がM1の卒業を認め、M2への入学も認めているので、そもそもM1の資格も必要ないのかもしれない。まだマスターを終えていない人の場合には問題があるのだろうが、、。ということで、これまで通りにM2のクールに参加できることがわかりほっとして帰ってきた。



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mercredi 21 octobre 2015

マスターの時は一生懸命にやっていたという感想は持っていた。
しかし、具体的なことは忘れている。
それがこのように読み直すことで蘇ってくる。
インタラクティブなクールは緊張して受けていたことを思います。

この記事にあるランスから通っているという哲学の先生のことは思い出せない。
それほど出席されていなかったのではないだろうか。






mardi 20 octobre 2015

眼鏡を再調整し、淡々と前へ

20 octobre 2008
Georges YOLDJOGLOU (né en 1933)


今朝は数日前に受け取った眼鏡を何とかしてもらうために再び眼鏡屋さんへ向かう。実は昔作った眼鏡が昨夜出てきて、それが問題なく使えることがわかった。今回のものをよく見えるものと比べてみると、レンズの厚さが中央と周辺で大きく違うので、それが原因ではないかと思って出かけた。もう一度今回のものとこれまで使っていたものの度数を比較してもらったところ、驚いたことに数字が違うと言っている。それから今回のレンズは安いもので、焦点の合う範囲が狭いこともわかった。仕方なく、より広い範囲で焦点の合うレンズに変更してもらうことにした。もしこれでも駄目だったら・・・と持ちかけると、"ÇA VA MARCHER !!!" と一段と力を込めていた。しかし、私の方はそれほど楽観していない。このようなことは今回だけではないからだ。やはり小手先の気分転換は禁物、という教訓 だろうか。

午後からは研究所へ。引き続き日本の準備をする。
これまでぼんやりと考えていたアイディアが全く使えないことがわかった。
瞑想だけでは駄目である。現実を見ながら、ひたすら前へ進むしかなさそうだ。

夜は明日のクールのために読み、ディスカッションの準備をする予定。
次第に、規則正しい、ある意味では味気ない生活パターンに入りつつある。
映画 "Le Grand Silence" を思い出させる修道僧の生活である。
しかし、これが一番落ち着くから不思議だ。


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mardi 20 octobre 2015

今、アンジェに来ているが、パリに戻るとメガネの調整が待っている。
丁度7年を隔てて同じことをやっている。
人生はこの繰り返しなのか。






lundi 19 octobre 2015

科学の会議で哲学: 初の試みの準備始める

19 octobre 2008


あと2週間ほどすると、日本である国際カンファランスに出席のために帰国することになる。科学の会議なのだが、哲学の視点から話ができないかと考えて異色の抄録を送ったところオーガナイザーのM氏から時間を与えられた。科学の根にある哲学のことを知っているのと知らないのとの差は目に見える形で表れるかどうかはわからない。しかし、科学の文化に属するところで深く静かに効いてきそうな気がしている。主観的にも意外に大きいのではないのか、というのがこれまでの経験からの結論である。現役の時にそのような目を持っていれば科学をする上でよい影響が出ていたのではないか、より深く科学を理解することができたのではないかと感じることが多くなっている。その点について是非話しておきたいという願望が私の中に生まれているようだ。このようなことは海外の学会でも非常に珍しいし、ましてや日本では皆無ではないだろうか。オーガナイザーの判断に敬意を表したい。

ところでどのように話をまとめればよいのだろうか。純粋に哲学的になってしまうと聞いている人は全く興味を示さないだろう。科学とどのように関連をつけて話をするのがよいのか。そろそろ本格的に準備をしなければならないと思い、今日の早いうちはバルコンで、午後には散策ついでに近くのカフェまで行き、資料を読みながら瞑想していた。この営みが出発まで続くだろう。日本人だけの場合には、個人的な経過を交えながら哲学的要素について大雑把に話してから科学との関連へと入っていくことになるのだろう。問題は外国の方である。(科学)哲学についての了解がどの程度なのか、全く想像がつかないのが頭痛の種である。ただ、最近哲学者と科学者の共著論文が一流と言われる科学雑誌に出ていたのを目にしたので、少し状況が変わってきているのではないかという気もしている。いずれにしても私にとっては初めての試みになる。もちろん聞いている方も初めての経験になるだろう。そんな話を聞いて何になるという反応になるのか、少しはためになったということになるのか。今の心境としては、これからにつながるような話ができるように全力を尽くすしかなさそうである。



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lundi 19 octobre 2015
 

こちらに来てすぐの頃は、新しい領域に触れ、これまでわたしが知らなかったことは他の科学者もおそらく知らないのではないかという思い込みのためか、強く知 らせたいという思いに溢れていた。その気持ちは数年に亘って続いたのではないだろうか。この時がその最初の発表だった。

後に関連記事があるかもしれないが、わたしの発表に対してベルギーの方が激しく反応したことを思い出す。科学者はそんなことを考える暇などなく研究に追われている、それができるのはダーウィンのような生活に余裕のある科学者だけだというものだった。確かに、最初に生活があり、その後に哲学というのが古代からの見方である。いつの時代にも変わらないことなのかもしれない、と最近では達観するようになっている。







dimanche 18 octobre 2015

ストラスブールからの便り

18 octobre 2008
 


今日はのんびり午後から先週買うことになった眼鏡を引き取りに出かける。期待していたのだが、焦点が合うところが非常に狭く前のものよりは使い難い。お店の人は1ヶ月慣らしてみて状況が変わらないようであれば替えることができますと言っていたが、この調子だと仕事の時は以前のものに頼らざるを得ないだろう。こういうところはいつも脇が甘い。

これまでは夜の散策と言っても、自らの中に篭るような感じのものばかりだったが、今日は外の様子を積極的に見てみましょうという気で散策に出ていた。これは少しだけ余裕が出てきた証拠ではないかと思っていた。今までにはなかったことである。食事やカフェでの思索の後帰ってみると、ストラスブールからメールが届いていた。

この方から最初のメールが入ったのは、一月ほど前のこと。この前のブログ「ハンモック」の日仏版に Araki が乳がんで乳房切除した詩人の宮田美乃里さんの姿を写真に収めた本のことを書いた。もう3年前のことになる。

宮田美乃里 MINORI MIYATA - UNE POETE PURE ET ENTIERE (2005-09-16)

ARAKI - UN PHOTOGRAPHE ROMANTIQUE (15 octobre 2005)

この記事で 「乳房、花なり。」 ("Le sein, c'est la fleur")という Araki の本を知ることになり感謝の言葉が添えられていた。そして、彼はストラスブールの大学で乳がんの治療に当っていて、以前に哲学も勉強し l'Agrégation (大学教授資格)まで取っていると書かれてあった。ストラスブール大学といえば、私がこちらに来る切っ掛けにもなったジョルジュ・カンギレムが若き日に教えていた大学である。そのことと併せて、カンギレムの息子さんも同じ大学で働いていたことも記されていた。

実は私のM1のメモワールのテーマにはカンギレムが深く関わっていることもあり、彼に私のメモワールを読んでもらうことにして、すぐに送った。しかし、音沙汰がないのでお忙しいのかと想像していたところ、今日返事が来たという次第である。ただ、メモワールについてはまだ忙しく目を通す時間がないとのこと。それとは別に、彼の2つの論文を送ってくれた。それは科学論文ではなく、ガンを主題にした医学哲学(歴史も絡めた)の論文である。彼のメールには、あなたは今読書と瞑想の中にいることでしょうから私の論文がその réflexions のためになることを願っていますとの言葉が添えられていた。この文章を読んだ時、自ら歩んだ同じ道を今あなたも、という同志に対する心を感じていた。非常に興味深い内容のようなので、これからじっくり réfléchir しながら読んでみたい。

秋の夜長に相応しいお便りと論文の内容で、外の喧騒から一転、心が静まり返っている。



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dimanche 18 octobre 2015


このエピソードは完全に忘れていたが、読んでいるとスーッと今の出来事に変わる

 リンク先のARAKI についてのフランス語の記事に行ってみた

 もう十年前の記事で、フランス語を始めて4年目になる

 恐ろしくて読む気にはならないが、よく書いていたものだ と感心する

努力賞だろう

当時の部屋が写っていて、懐かしい


 フランス語を始めてréflexionsという言葉に目覚めたが、それがこの記事によく表れている

それがどういう精神運動なのかは、こちらに来て理解できたと思っている

 これこそ哲学の基礎にある運動であることを体得できたのは、幸いであった

当時、その中にすっぽりと入っていたことがよく分かる記事である

  
ところで、目に合わないメガネを作られて困ったことも覚えている 

その後レンズを変えてもらったが相性は良くなく、あまり使わなかったのではないだろうか

  






vendredi 16 octobre 2015

突き詰めると出会いの一日か

16 octobre 2008
 



突き詰めると毎日が出会いに溢れていることになるだろう。特にこちらにいると、そのことを強く感じる。今日も朝から不思議なことがあった。・・・やはりアメリ カにお願いのメールを出した方がよいのではないだろうか・・・と考えている時に目が覚めた。しばらくしてメールボックスを開けるとその方からメールが入っていた。朝の5時のことである。

今朝一番のクールへ向かう。9時からなので1時間前に出るが、もう薄暗い季節になっている。この季節は朝でも暗いのでシャッターを開けないことがほとんどだ。下におりると小雨がぱらついていたが、そのまま出かけた。クールの途中、睡魔が襲う。しかし、今日は貴重な言葉を聞くことができた。今考えているテーマについて、モンテーニュやアリストテレスが語っていることを知る。その言葉を聞いた瞬間、一気に目が冴えてきた。こういう時のためにクールに顔を出しているようなところもある。先生にお願いして、詳しい出典を来週教えていただくことにした。

クールの後はカフェで簡単なデジュネを済ませ、最近ご無沙汰していたリブレリーに向かった。今日の写真が階段横に飾られていた。地下には科学関連の本や哲学、科学哲学、心理学、歴史などの本がある。今日は6-7冊飛び込んでくるものがあった。世界の初めの物語から医学の過去、現在、未来を扱ったもの、それに個 とは一体何なのかを探ったものなどを仕入れる。興味深いのは、訪れるお店の雰囲気やテーマの作り方、展示の仕方など、こちらの心身の状態によって飛び込んでくるものが違うことである。その時、その場所でなければ意味を持たないようなものが顔を出す。そして買った時にどのような状況であったのかはよく覚えている。そういう本であれば、どれだけ時間が経っても読む時の精神状態に変わりがないのである。そういう唯一無二の瞬間を楽しみにしながらお店に入る。秋の深まりとともに、書籍を友として過ごそうとしているかのようである。


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 jeudi 16 octobre 2015


最初の夢の部分、アメリカのどなたからのメールだったのかは思い出さない

マスターの時の朝のクール

出かける時の町の暗さは今でも思い出す

時には、夜ではないかと間違えるほどのこともあったが、今となっては懐かしい

そして、クールでは言葉に注意していた様子が伝わってくる

自分の記憶を刺激する言葉に出遭った時の悦びは、最初の学生時代にはなかったことである




jeudi 15 octobre 2015

インプラントを決断する

15 octobre 2008

しばらくどうしようか考えていたインプラントを入れてもらうことにした。一方の歯だけで噛んでいるとそちらに負担が掛かるような気がするし、口全体で味わっていないように感じられたからでもある。費用が相当かさむが致し方ないと判断して、今朝出かけた。私の場合2本入れるので1時間半ほど掛かった。奥の歯が少し弱っているとのことで何かを詰め固めながら進めていたようで、今回は準備段階のようだ。おそらくそれをしっかり詰めるためか、十数回金属製のもので叩 いていたので頭蓋骨のみならず脳が振動していた。使われていないところが目を覚ましてくれればよいのだが、、、

終った後、Junkuに寄って目に入った新書(13ユーロで少々お高い)を買い、昼食時に1時間ほどで読んでしまった。話しているような調子で書かれている本屋さんに溢れている類の本である。現代人は少し難しい(読みにくい)本を読んでいる閑はないということだろうか。これとは別に最近読んでいる本は必ずどこかで引っ掛かるところがあるので、自分を動員しないとついていけない。そのため自分の中に残ることも増えているように思う。

それから研究所に向かう。昨日のクールについての追加のメールが届いていたので、関連の資料を読む。2-3時間したところで麻酔が切れてきて痛みを覚えたので早めに引上げてきた。インプラントの場合には麻酔が重いようで、いつもより長い時間がかかったようである。


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jeudi 15 octobre 2015


こちらに来て1年でインプラントを入れていたことになる

もっと後で決断したのかと思っていた

ということは、あれから7年経つことになるが、お陰様でまだ異変はない様だ

あの時の費用の価値は、これからどれだけの間気持ちよく過ごせるのかによって変わってくる

大事に使いたいものである


それから最近の本の文体についても触れられている

よく売れている本などを立ち読みしていると、すぐに読み終えることができるものが多い

話しかけるような調子で書かれてあるからだ

このような本でなければ、忙しい現代人は読む閑がないのだろうか

折角の時間を使っても思考の深みが増すことにはなりそうもないのだが、、、







mercredi 14 octobre 2015

インタラクティブなM2、そしてまたしてもフランスか・・・

14 octobre 2008
 


昨日、前日の徹夜の疲れからか早めに寝ようとしてパソコンを切ろうとしたところ、クールで読む文献が10篇ほど送られてきた。今日のクールでこれからの様子がわかってきた。毎回、数編の論文(と言っても科学のものに比べると一般的に長いものが多い)について誰かがまとめを発表(コント・ランデュ)し、それについて各自がディスカスするというやり方のようである。このようなクールにどれだけ同化できるのか、今は何とも言えない。

今日の中休みには前回同様中年のお医者さんとカフェに向かったが、他にこれまで哲学をやってきたがこれから生物学に進みたいという手巻きのタバコを吸う女子学生と経済をやってきた男子学生が加わった。戻ってみるとホールでは5-6人が何やら話をしているということで、明らかにM1とは雰囲気が違う。このように多様な背景の人が集まり、相互に意見を交わす(闘わすところまで行くことになるか?)ことのできる環境は哲学が呼び込んだものなのか、パリ特有のものなのか、偶然 なのか。いずれにしても私から見ると好ましい状況になっている。

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お昼まではよかったが、午後M2でどのクールを取るのかの登録(l'inscription pédagogique)に出かけて大変なことが明らかになった。あなたにはM2の資格がありませんと言うのである。そこで哲学科全体の責任者のところへ行きよくよく聞いてみると、必須のクールが一つ不足しているだけでなく、そもそもメモワールを書いていないことになっている。コンピュータ管理はされているのだが、そこへの入力がされていなければ機能しない。M2の事務は機械的に判断するしかないのでこういう結果になるのだろう。一つにはM1の秘書さんが替わったこともあるのかもしれないが、これもフランスなのだろうか。不足しているクールはParis 1ではなくENSのものだったので、本来であれば事務がその成績を集めなければならないはずだが、、、一応その旨伝えてきたが、M1の新しい秘書さんも列を成している新入生の処理をため息をつきながらやっていたのでどうなるかわからない。今週末にもう一度顔を出してどうなったか確かめることになりそうである。



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mercredi 14 octobre 2015


講義の中休みのカフェでの一コマが蘇ってくる。
 
今でもその前を通ることがあるが、懐かしいという気分にはまだならない。
 
ただ、あの外科の先生はもういない。
 
 手巻きタバコの女子学生は今何をしているのだろうか。
 
 
 この記事で、M2の登録の時に問題があったことを思い出した。
 
焦ってそのあたりを動き回った記憶が蘇ってくる。
 
遠い昔の出来事として。 
 





mardi 13 octobre 2015

フランス文化の栄光や今何処 La gloire perdue de la culture française

13 octobre 2008
 


私がフランス文化について話をすると、このような危惧の声を聞くことが多い。先日巡り合ったSさんの友人も、指導教授もよく口にする言葉である。そういうこともあってか、今週末のフィガロ・マガジンで紹介されていた1冊の本に目が行った。

"Que reste-t-il de la culture française ?" par Donald Morrisonet et "Le souci de la grandeur" par Antoine Compagnon (25 septembre 2008)

前半を書いているモリソン氏は5年前にパリに移ってきたアメリカ人ジャーナリストで、コンパニョン氏はコレージュ・ド・フランスの文学教授、兼ニューヨークのコロンビア大学教授である。事の発端は、昨年12月3日号の雑誌Timeのヨーロッパ版で "La mort de la culture française" (フランス文化の死)がカバー・ストーリーになり (残念ながら私は読んでいない)、この記事の著者に怒りの反応が押し寄せたとのこと。これは "French bashing" (casser du Français) だ!というわけである。しかし、モリソン氏はフランス文化は確実に衰退している ("La culture française connaît un déclin inexorable")、フランスの芸術家は市場でも力がなくなり、作家にしてもアメリカで訳されることもなくなっている、サルトルやカミュは一体どこに行ったのか、と手厳しい。

これに対してフランスの文化人も助け舟を出そうとする(à la rescousse)のだが、彼の言っていることに必ずしも誤りがないことを認めざるを得ない状況にある。フランス文化が以前ほど輸出されなくなっているとの認識はコンパニョン氏のものである。お二人の結論は一括りにすると次のようになる。コンパニョン氏は言う。

"Le rayonnement de la culture française, une part essentielle de l'identité de ce pays, a reculé à mesure que reculait l'influence de la France dans le monde."

「この国の重要なアイデンティティの一つであるフランス文化の輝かしさは、世界におけるフランスの影響力の低下に伴なって薄らいだ」

それから文化に対する財政援助と大学での芸術、文学の軽視を批判する。アメリカやイギリスで大切にされている作家のワークショップはフランスではどこに行ったのだろうか。次代の作家を育てるのに重要なのだが、フランスは自己満足の内省に陥っている。フランス人が誇りを持っている映画にしても同様である。少ない予算でサンパではあるが意味のない国内向けの映画に閉じこもっている、とはモリソン氏。そして、おそらくわずかにこの難を逃れているのが建築(ジャン・ヌヴェル氏のお陰!)とクラシック音楽だというのが両氏の一致した観察になる。

フランスの芸術家は内に閉じこもり (自己中心的になる:nombrilisme=自分の臍だけを見る)、世界を夢見なくなったとのご両人の認識。外に目を向けなければ活力が落ち、輝きが失われるということか。耳が痛いが故に参考になる結論かもしれない。


日本の場合は数字で表わすことができ、言葉が必要のないところで影響力を持とうとしているように見受けられるが、逆に日本文化の発信によって世界への影響力を増すことを考えた方がよさそうに思える。その過程で日本人そのものが磨かれていくだろう。常に外を意識した精神の緊張状態(島国ではこれが一番難しい)。思想や哲学の面ではもちろん、それを紡ぐ言葉による表現、人間そのものがものを言う世界で何が重要なのかも理解できるようになるような気がするのだが、、、


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ところで、眼鏡屋さんに入って眺めている時に年齢分のパーセントをお値引きしますという札が見えた。100歳であればただになるサービスである。この機会に気分転換もかねて作り替える決断を一瞬のうちにしていた。私の場合には半額以下になる。生年月日を入力した後に年齢を聞いてくるので、普段とは逆に冗談で少し多めに言ってみたがああそーですかで終わりであった。その後で正確な歳を伝えたのは言うまでもないが。日本でこんなサービスがあるのかどうかわからないが、ちょっとした遊び心を刺激するサービスに引っ掛かってしまった。年寄りの懐を狙った戦略と言ってもよいのだろうか。


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mardi 13 octobre 2015


フランスに9年目に入ったが、フランスの状況には無頓着で来た

こちらでの内的状態が私にとって最適であり、外の状況はあまり関係ないと見ていたからである

そのため、こちらに来た当初に書いたこのような観察だけがわたしの判断の基準となっている


日本の状況についても昔とは比べられないだろうが、同様の傾向があるように思っている

こちらに来て、フランス語の本が日本語によく訳されていることに驚いている

取り入れることには今でも非常に熱心である

しかし、どれだけ日本文化の目には見えない部分を外に向けて発信しているだろうか
 
そのことを考え、創造性を発揮するのが、文系にいる人間の責任になるような気がしている

その意味では、チャレンジングな時代が待っているとも言えそうである


話は変わるが、先日メガネが壊れて修理のため眼鏡屋さんを訪れた

その時、新しい眼鏡を作ってはどうですかと勧められたところだった

7年前に眼鏡を作り替えていたとは・・・何とも面白い







lundi 12 octobre 2015

パスカル、あるいは科学と哲学 Pascal, ou la science et la philosophie

12 octobre 2008


昨日のセミナーで私の質問に対してローゼンバーグ氏が 「・・・をやっても答えは出ないかもしれませんが、、、」 と最後に言った時、これこそ科学と哲学を分けているものではないかという思いが巡った。科学は答えの出る問しか出さない、あるいは答えが出るような問の出し方をするのが優れた科学者と言えるかもしれない。ただ、その守備範囲は非常に狭いものだ。それに対して、哲学はその姿勢として専門を持たないのが特徴である。もちろん、哲学という学問の中にも相当に細かい専門はあるが、基本姿勢としてできるだけ広い範囲に目を向け、世界の全体を理解しようとするところがある。しかし、それゆえに答えに辿り着かないことが多い。ほとんどそうかも知れない。そして彼はこう結んだ。「ただ問い続けなければならないでしょう」 と。この言葉こそ哲学者のものであった。それはすべてを理解しようとする (全的な理解に辿り着こうとする) 者への罰だろうか。いや、むしろそれこそわれわれに生きる力を与えるものではないだろうか。役に立たないと言われている哲学の力が実は計り知れないということを示すものかもしれない。

以前にも触れたパスカルの "tout d'une chose" (ひとつについてすべて) と "peu de tout" (すべてについて少し) の対比にそのすべてが表現されているように思う。パスカルは言う。人間はひとつのことのすべてを知ることができないのだから、すべてについて少しずつ知るべきである。私の場合、結果的にはパスカルの言葉に従ったことになるが、そうすることにより世界が全く変わって見えてきたことも事実である。当然のことながら世界が広がり、そのため受け入れることのできる幅が以前では考えられないほどになっていることに驚く。文化的なものに限らず、人間についてもその見方が変わってきているように感じる。

パスカルに自分を見る S'ENTREVOIR CHEZ PASCAL (2007-02-18)


パスカルは昨日の話題にも通じる次のようなことも言っている。

« Toutes choses étant causées et causantes, aidées et aidantes, médiates et immédiates, et toutes s'entretenant par un lien naturel et insensible qui lie les plus éloignées et les plus diverses, je tiens pour impossible de connaître les parties sans connaître le tout, non plus de connaître le tout sans connaître les parties. » (Pensées)

「すべてのものは引き起こされ引き起こし、助けられ助け、間接的であり直接的であり、すべては最も離れたものや最も多様なものを結びつける自然で感知できない結びつきにより維持されているので、全体を知らずに部分を知ることも、また部分を知らずに全体を知ることもできないと考える」



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lundi 12 octobre 2015

日本にいる時にカーテジアンとパスカリアンの違いを知り、それまでは科学者として生きたカーテジアンであったのが、それでは満足できなくなり、人間のすべて を動員して考え生きなければならないと言わばパスカリアンへの転身を心に決めたことを思い出させる。あれから9年が経過することになるが、その決断に誤りはなかったと言えるだろう。それ以降の生活が想像以上に満ちたものになったからである。これは、何事も形が見えるまでには10年という歳月がかかるという ことの証左かもしれない。









dimanche 11 octobre 2015

セミナー始る: 還元主義の問題 Alex Rosenberg parle du problème de réductionnisme

11 octobre 2008

Dr. Alex Rosenberg (Duke University)


今日からセミナーの方も始った。土曜の11時からという時間が丁度よい。ぼんやりしがちな土曜の朝を努めることなく外に誘い出してくれる。このセミナー・シリーズをオーガナイズしていた方(女性の生命哲学者)が先月亡くなったので、1分間のsilenceの後始った。今日の演者はアメリカ、デューク大学のアレックス・ローゼンバーグ氏で、この分野では有名な方である。スライドは英語だったが、フランス語で講演していた。テーマは発生遺伝学における還元主義についての疑義とそれに対する反論についてで、興味深い内容であった。

還元主義の定義を、分子レベルでの解析を重ねてゆくことにより、よりよく物事が理解され、その情報が加われば加わるほど真理に近づくという考え方として議論を進めていた。この考え方は、私も含めてほとんどすべての生命科学者が採っている立場ではないかと思うが、これで本当に全体の理解につながるのかという疑問が出されている。小さな部分の理解はどんどん進むが、それを集めたところで全体の理解につながるのかという疑問である。これはまさに私が経験したことそのものであり、少なくとも一人の科学者の中では到底その目的は達成できいないというのが私の結論であった。それが満たされないということは自らも満たされないことを意味したわけである。質問の最後に、科学哲学者がこの問題に対して何らかの回答を用意できるのかどうか聞いてみたが、これは相当に難しい問題になるだろう。

セミナー後、研究所に向かうメトロで同じM2のクラスにいるParis 7の学生さんに会った。彼もセミナーに出ていて私の質問を聞いて興味を持ったのか、こちらに寄ってきた。話をしてみると、これまで進化生物学について勉強してきたようで、文化(宗教も含む)における進化に興味を持っているようであった。Paris 7ではM2でも前期で4クール、後期3クールを取らなければならないようだ。こちらの場合はそれぞれ2クールなので、大学によってシステムが違うようである。これからも話が通じそうな印象を持った。

研究所のビブリオテクに行ったところ、なぜか閉館。セミナーの後で気分が解放されていたためか、そのまま散策に切り替えた。レンヌ街、ラスパイユ街を歩く。途中、ボサノバが流れていた(下の写真です)。のんびりした土曜の午後となった。



今日はラスパイユ街のにぎやかなカフェからアップすることになった。



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vendredi 9 octobre 2015
 

このセミナーで問題になった還元主義の問題は、簡単には片付きそうにない。これまでこの問題はいつもわたしの身近にあったが、そうではない方向性を考えるもののその方法論が見当たらないところがネック。状況は分析できるが解決の方法が見つからないというのが今でも続く現状ではないだろうか。

この記事出てくるParis 7の学生さんだが、その後オックスフォードに1年ほどいた後、オーストラリアで博士課程に進んだ。まだ院生なのか、卒業したのかは分からない。時は確実に流れている。






vendredi 9 octobre 2015

パスツール研究所のSさんとばったり、 これがパリ?

9 octobre 2008


2回目のクールが終わり、コレージュ・ド・フランスの科学関連のコロックに向かうがお昼休みだった。プログラムを見るとそれほど興味を惹かなかったので昼食後リブレリーに入る。入門者用の哲学書が目に入ったので2冊ほど手に入れ、研究所に向かった。4時間ほど比較的集中して仕事ができた。それから少し歩いて馴染みのカフェに入り、今日のまとめをしようとしたその時に声が掛かった。今日の写真の左の方である。パスツール研究所を3年ほど前に訪れた時、研究室の秘書をしていたが1年ほど前に研究所でばったり会った時に別のセクションに移ったことを知った。

今日は写真右の友人と前の通りでこちらもばったり会ったので、今シャンパンで乾杯している、一緒に話をしないかとのお誘いであった。3年前に訪問して以来まだ数回しか会っていないがいつもこういうパターンである。彼女も不思議がっていた。いろいろな話が出た。Sさんの友人にこれまでの経過と私が感じているフランス文化(特に、哲学関係)の特徴について話をする。そうすると彼女は私の考えを訊いてきた。そういう道を歩んでいるということはあなたの意志が導いたものなのか、この世に自由意志はあると思うか、自分でないとしたら一体誰がそれを決めているのか、その誰かはどうやったらわかるのか、などなど。さらに、あなたはフランス文化に何らかの魅力を見つけているようだが、昔こそ豊かなものがフランスにもあったが、今はどうでしょう、悲観的に見ているとのご意見。

Sさんには数日前の快挙について聞いてみると、フランソワーズ・バレ・シヌシさんに今日会ったが晴れ晴れとした笑顔だったとのこと。"être sur un petit nuage" (現実が遠くにあるような、夢の中にいるような) 気分でいる、そして一夜にして別世界に住むことになってしまったと言っていたようである。お二人の知り合いや身内には日本に滞在したことのある人から来月日本女性と結婚して日本に永住することになっている人までいるとのこと。1時間ほどたっぷり話をして、こういうことがあるのがパリですね、と素晴らしい笑顔のSさん。再会を期して別れた。





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vendredi 9 octobre 2015

あれからもう7年といういつもの感慨が湧いてくる。
Sさんとはこの時以来お会いしていない。
Sさんと知り合いになったのはわたしの友人MDの研究室でのこと。
その彼も数年前に研究所を定年になった。
彼はその後1年だけソルボンヌで哲学をやったが、水が合わなかったのだろうか。
今は研究の方に戻っているようだ。






jeudi 8 octobre 2015

下村脩氏ノーベル化学賞受賞で想う

8 octobre 2008
 

不思議である。どうも数日前の夢は正夢だったようだ。今日受賞が発表になった化学賞の業績は、生命科学に関わっている人であればどこかでその恩恵に与っているはずの仕事である。その貢献度を選考委員会が高く評価したのだろう。Shimomura氏は、グリーン・フロレセント蛋白(GFP: la protéine fluorescente verte)という蛍光物質を発見精製した方である。結局、これまでのところ日本人が日本人と考える人が4人も(うち1人はアメリカ人)ノーベル賞を受賞している。この世界が遠くの出来事ではなく身近なものに感じられるということは、これからの人にとってはよいだろう。到底歯も立たないと思われていた大リーグに野茂が道を開き、それ以後はそれなりの人であれば充分に活躍できることが示されることになった。われわれは同じ人間である。精神的な壁を取り払うことができれば、東も西を恐れるに足らずということになるかもしれない。精神が体を動かし、頭脳をも動かしていると想像されるからである。

昨日の物理学賞の日本人お二人は、この機会に文化勲章に推薦されるようである。今回も日本人独自の評価ができていないということになるのだろうか。日本自らが日本人の仕事を正当に評価できるようになるにはまだ時間がかかりそうである。そこには濁りのない目で真理を見極めようとする精神のあり方が必要になるのだろう。外から日本を見ていると、余計なものがいろいろなところに纏わりついているように見える。真理に絶対的な価値を置く科学精神こそわれわれが必要としているものではないだろうか。いろいろな功罪が言われているノーベル賞であるが、何が本質的に大切なのかという視点を示してくれるところはあるようだ。われわれがその視点で仕事を評価し遇することができるようになるまでは必要な賞かもしれない。

Osamu Shimomura (1928-)


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(9 octobre 2008)

今日ある方から下村氏の国籍は日本だと本人が話していましたとの話を聞く。ノーベル財団のページからアメリカ人研究者としたが、その部分を変更した。

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(11 octobre 2008)

コメントとして書いた中に、タイトルの「・・・想う」にぴったりするところがあるので、ここに転載したい。

<9 octobre 2008>

ご指摘の精神的余裕の大切さは、こちらに来ると強く感じます。日本の学生さんと比べると落ち着いて見えます。自分の周りを取り巻く空間が見えるようにも感じます。逆に日本の状況を思い出してみたり、今遠くから現状を眺めてみると、すべてが浮き足立って見えてきます。姑息になり、深い哲学(時間軸の長い考え方)がなかなか生まれないようにも感じます。それはおそらくは伝統が生み出す精神の成熟と言うべきものの差かもしれません。まだ1年程度の観察でしかありませんが、、、

科学の分野もその例外ではないと思います。今やグローバリゼーションの影響でどの国も科学のやり方が変わってきていますが、日本の場合は反射的に方向を変えたのではないかとさえ思えるくらい、アメリカの思想がそのままの形で入ってきています。何がよい研究なのかという議論や哲学がないまま、影響力のある雑誌に発表することが目的化している状況です。これは以前にも触れたと思いますが、ある結論に至る条件にその結論が来ているという論理矛盾に陥っているようです。どんな研究が素晴らしいのかという問を考えることなく、何処何処の雑誌に出ることがよい研究の証であると論理が逆転しているのが現状になっています。そこには溌剌とした将来に結びつく科学は生まれないように感じていますが、ほとんどの研究者がこの商業主義に毒されているようです。自ら評価する必要がないという点では楽なのかもしれませんが、落ち着きや余裕につながる真の科学文化はなかなか育ってこないように思います。

詳しくはわかりませんが、今回ノーベル賞を受賞された日本の研究者を取り巻く環境や考え方は今とは大きく異なっていたのではないかと思わせるものがあります。仕事をする時の前提が今とは違っていた(上述の論理矛盾のない状態だった)のではないかと想像していますが、、、

<10 octobre 2008>

今回受賞された方の映像を見る機会がありませんので感触は掴めないのですが、記事を読む限りでは私の頭にある古き日本人を思わせるものがありました。ノーベル賞の後にはダグラス・プラッシャーさんのような悲喜こもごものお話が出てくることがあるようです。かなり前になりますが、ボストンで乗ったタクシーの運転手がMITで学位をとった人で、職がなかったのでと言っていました。

今回の受賞(特に下村博士の)を見て、今の日本の研究費の配分方法が本当にこれでよいのかというこれまでの疑問が強い疑念に変わっていました。すぐに結果が出そうなところに膨大な資金をつぎ込むというやり方ですが、そこからは一時凌ぎのそれらしい成果は出るかもしれませんが、10年20年先につながるものが出ることは稀ではないかと思います。それよりは、もっと広く、もう少し篤く配分していろいろな芽を育てることの方が結果的には豊かなものをわれわれにもたらしてくれるのではないか、研究者の社会ももう少し潤いのあるものになるのではないか、などと考えておりました。



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jeudi 8 octobre 2015

7年後の物理学賞が発表になり、日本人の梶田隆章さんが受賞。昨日発表になった化学賞には日本人はいなかった。その日の新聞は「化学賞には日本人なし」というような記事を出していた。一昔前でさえ考えられなかったことである。世界の情勢が急激に変わっていることを示す一例だろう。

われわれの人生の晩年についても、今や同様の急激な変化が訪れているように見える。今想像していることとは全く違う人生がこれから待っている可能性がある。わたしの若い頃、将来を想像することはなかったが、70歳と言えばよぼよぼという感じでいた。それと同じように感じるのは、今では90歳代になるのではないだろう か。

先のことを考えてもあまり意味がないということを示す一例になるのだろうか。
ただ只管、今に打ち込むのが良策のようである。





mercredi 7 octobre 2015

本格始動

カルチエラタンのある書店にて


新しい季節が本格的に始った。今朝9時からのクールに向かう。今回も改めて皆さんの自己紹介から始った。M1とは明らかに異なり、研究の面が強調されてい る。と同時に、M1では所謂大学生と同じような雰囲気が残っていて、それはそれで懐かしい雰囲気があり嫌いではなかったが、単に教室に顔を出すだけで物足 りないものがあった。しかし、M2では学生間のやりとりが日常的に起こりうる雰囲気が漂っていて、日本での生活に近いものがある。今日の中休みには、内科 のお医者さんと一緒に近くのカフェでお話をした。彼は今も病院に勤めているが、時間を見て哲学を始めることにしたという。もともとはテーズから入りたかっ たのだが、先生からまずM2で周りの様子を見るように助言されたという。私の道とも重なりそうな方で、これからもコンタクトを取ることになるだろう。高校 で哲学の先生をやっている方がいたので、いずれこちらの様子を聞いてみたい。それから、M1では18世紀、特にディドロを研究してきたという女子学生とも 話をしたが、彼女も言葉を交わし始めると頬を染めていた。これまで話をした女子学生はほとんど例外なくこのような反応を示したが、未だになぜかわからな い。

クールのやり方は、毎週4-5編の文献を教授が送ってくるのでそれのレジュメを作り、ディスカッションする。前期の終わりには15 ページ程度のエッセイと前もって与えられた12のテキストについての口頭試問(20分)があるという。それから最初の説明会で話のあったメモワールについ てのエクスポゼ(30分程度か)が来春に予定されている。仕事をしている人もいるためか、毎週最低でも5-6時間は読むための時間を確保するようにとの指 示もあったが、私の場合にはこれではとても足りないだろう。

今日のクールを聞きながら教授の一言一言に納得して(?)くすくす笑いながら 聞いている学生がいたが、なかなかよい。このような反応は日本人では見たことがない。同時に、話を聞く態度がリラックスしているように感じる。教える方も ある事実を語っているのだが、上から授けるという姿勢や力みが全く感じられない。自らの思索の過程を自らが楽しんで語っているのがわかり、好感が持てる。 歴史的な考察が主であったが、歴史と寄り添うような姿勢や昔の人の頭の中を感じながら話しているような印象があり、非常に落ち着いて見える。また宗教関連 のことも日常感覚で話しているのだが、残念ながらその感覚はわからない。


朝の3時間のクールを終え、カルチエ・ラタンを歩いてい つものカフェに向かう時の気分は何とも言えないものがある。新しい世界に触れた興奮と心が開いていく満足感を引き摺りながら、これから動き始めようとして いる町の新鮮な空気の中を通り抜けて行く。全身が洗われる瞬間である。




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mercredi 7 octobre 2015

講義を聞くだけでは物足りなさも感じていたとあるが、M2のインタラクティブなクールは非常なストレスだったことも確かである。それは最後まで続いた。

あれから7年経ったことが分かるのは、ここに登場しているお医者さんはこの何年か後に急死された。そして、頬を赤らめていた女子学生は今やその面影はなく、逞しい若手になっている。

細かいクールの課題まで書かれているが、フランス語を始めて7年目、フランス2年目でよくやったものである。教授連中の語りの中に、言葉に対する細心の注意と彼らの中にある歴史感覚の違いを感じていたが、その頃の記事になるだろう。

それから、クールの後にカルチエラタンに出た時に感じる、未だにどう形容してよいのか分からないが、心がこれまでになかったような空気で満たされる時間が非常に新鮮であり、刺激的であった。それは純粋に新しいところに向かって進む力を与えてくれていたように思う。こちらで初めて体得した「そのものだけのために学ぶ」という心は、このような経験の積み重ねの中でを生まれてきたのではないだろうか。今改めて、そう感じる。






 

mardi 6 octobre 2015

ノーベル賞週間始る リュック・モンタニエ氏医学賞受賞

6 octobre 2008
 1984年、パスツール研究所の研究室で
 ©AFP/MICHEL CLEMENT
リュック・モンタニエ氏(左)とフランソワーズ・バレ・シヌシ氏(右)


今朝、なぜか私がバーゼルにいて日本からの研究者を迎えており、その方がもし日本人がノーベル賞を貰うと・・・などと話をしているところで目が覚めた。そしてお昼のラジオでこのニュースを聞いた。いずれもパスツール研究所に縁のあるリュック・モンタニエ氏とフランソワーズ・バレ・シヌシ氏がエイズウイルスHIV発見の功績により今年のノーベル生理学医学賞を受賞した。同時に、ハイデルベルグにあるドイツがんセンターのハラルト・ツアハウゼン氏(Harald zur Hausen, 1936- )が子宮頸がんの原因になるパピローマウイルスを発見した功績で受賞している。彼のもとには私の同級生も行っていたので、少なからぬ日本人が指導を受けているものと思われる。

ノーベル財団のページ。今朝見たときには写真は全くなく、それからツアハウゼン氏とモンタニエ氏のものが加わり、最後にバレ・シヌシ氏のものが加わっている。余談だが、モンタニエ氏の最初の写真は暗い、物想うご老人の顔であったが、今見ると生気溢れる満面の笑みのものに変わっている。クレームが入ったのかもしれない。

 Françoise Barré-Sinoussi (1947-) video
 Luc Montagnier (1932-)

リュック・モンタニエ氏については、これまで何度か触れている(こちらです)が、バレ・シヌシ氏については今回初めて聞く名前だった。モンタニエ氏と一緒にやりながらHIVの発見に関わり、研究を発展させてきた方と理解してい る。その分野では有名な方ではないかと想像する。最近の傾向として、発見に重要な役割を果たした若手の研究者もそのボスと同時受賞するようになっている。 数年前のリチャード・アクセル氏の時のリンダ・バック氏や古くは1984年のモノクローナル抗体のミルシュタインとケーラー氏の組み合わせなど。フランス との関連では、マイケル・ビショップ、ハロルド・ヴァーマス両氏が貰った時の仕事はフランス人ポスドクのシュテーラン氏(Dominique Stehelin)が自らやったものだとして異議を唱えたこともあった。選考委員会がその実態を詳細に調べるようになっているということかもしれない。若い人にとっては刺激になるのではないだろうか。

記憶に新しいと思うが、エイズウイルス発見についてはアメリカのロバート・ギャロ氏との間でどろどろとした先陣争いが行われた。モンタニエ氏のウイルスをガロ氏が借用して発表したとされる話があったり、時のレーガン大統領とフランスのシラク大 統領が政治的解決に出たこともあったが、ノーベル財団はモンタニエ氏のプライオリティをはっきり認めたことになる。おそらく、それは正しい判断であろう。 しかもウイルス発見25周年、パスツール研究所創立120周年という記念すべき年に賞を授けるとはノーベル財団も粋な計らいをしたものである。私もよく顔 を出す研究所だが、活気が増しているかもしれない。

ル・モンドによると、物理学賞は明日火曜日、化学賞は水曜日、文学賞は木曜日、平和賞は金曜日に授与される。来週月曜の経済学賞で今年のノーベル賞シーズンは終るようである。


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mardi 6 octobre 2015

7年後のノーベル賞は日本人の大村智博士に授与されたとのニュースを昨日読んだ。
役に立つ研究が評価される科学を象徴する出来事である。
メカニズムが分かることと人の役に立つことのどちらを取るのか。
そう問われたとき、どう答えるのか。
勿論、両方の条件を満たすに越したことはない。
しかし、それが患者さんに効果があるとなれば、使う方に走るところが医学にはある。
メカニズムは後回しになるのである。
理解よりは効用なのである。

これからも日本人の受賞が増えてくる可能性がある。
科学の基準にやすやすと乗ってしまうと、日本の文系は悲惨な状況になりかねない。
落ち着いた思考の世界を維持したいものである







lundi 5 octobre 2015

夜のカフェ

5 octobre 2008



今日は風が強く、枯葉が一気に散っていた。
夜、この秋初めてコートを着て外に出る。
これまで長い間置いたままになっていた仕事を片付けるためである。
外に 出ると吹き溜まりに黄色い葉の山ができている。

カフェに入り、その論文を見直す。
左には若い女性3人組のフランス語が弾んでいる。
右隣には最初英語かと 思ったがよく聞くと北欧のどこかの国のカップルが話し込んでいる。
このバックグラウンド・ミュージックの心地よさの中、1時間ほどのうちにすべてがまとま りを見せてくれた。

わが町の夜のカフェもなかなか味がある。
アパルトマンに近づくと雨が降り出したが、パリジャンを気取ったのは言うまでもない。



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lundi 5 octobre 2015

このシーンは覚えているが、それがどこのカフェだったのかは思い出さない。
これからはカフェの名前も残しておいた方が良いのだろうか。
いや、その必要はないだろう。

2008年のこの時期にはもうコートを着たとある。
今年はまだそこまでの寒さにはなっていないようだ。







dimanche 4 octobre 2015

ジョン・テンプルトン、あるいは宗教と科学 John Templeton, ou la religion et la science

4 octobre 2008 
 

昨日、そう言えばまだM2の授業料を払っていなかったな、手続きについて聞かなければならないなどと思っていたところ、今朝その手続きについての郵便が来ていた。非常にタイミングがよい。2年目の場合には大学本部まで出向く必要がなく、ネットで手続情報を得て郵送で片付くようだ。ありがたいことに、相変わらず230ユーロというところで値上がりはしていない。去年はじっくり見ていなかったが、その内訳は以下のようになっている。

授業料   184 ユーロ 
図書館    29 ユーロ 
検診      5 ユーロ 
学生生活  13 ユーロ   

午後から久しぶりに研究所へ。現役時代には同じ領域で同じ分子について研究していたイギリス人のDAさんが宗教と科学についてNature誌にコメントしているのを見る。彼の研究室とは交流があり、人が実際に行き来したこともあった。多くは語らなかったが(話が通じないと思っていたかもしれない)、彼は以前からこの問題に興味を持っていたようで、確か関連の本も物しているはずである。研究所を定年の後、科学の分野にも足を残しながら、科学と宗教をテーマとしたケンブリッジの研究所の所長として研究を続けている。宗教を哲学に置き換えると、どこか私の歩みとも共通したところがありそうだ。意識の中ではイギリスというとまだ遠いところにあるような気がしていたが、海峡を渡るとすぐである。ひょっとすると、これまでとは違う新しい領域で再びディスカッションの機会が訪れるかもしれない。  

ところで、外に出ていると、このような人との接触に要する物理的・精神的なエネルギーは日本にいる時とは比べものにならないくらい少なくて済む。これは大きな利点だろう。日本では異種との接触が大仰なものになるか、面倒になり諦めてしまうことになりがちである。日常的な感覚での交流が可能になるのが嬉しい。  

話はずれたが、彼のコメントに至る流れは次のようなものである。ジョン・テンプルトン財団の主、ジョン・テンプルトンが今年亡くなった時に、宗教や精神的なことについて科学研究をしている人を援助する財団の行動についてNature誌が論じたことに始るようだ。そこでは、もちろん注視しなければならないが、これまでまともな科学者がはなから拒絶していた宗教や精神の問題について科学研究するということ自体を全否定することはないのではないのか、という論調だったと思う。

それに対して、そうではなく科学が宗教によって汚染される危険性があるというようなコメントが雑誌に寄せられ、それに対してDAさんが改めて、宗教が科学に与える影響をネガティブに捉えるのではなく、時に科学の発展に重要な役割を果たす存在として積極的な評価をしたいというコメントを出したという経過になる。私自身、宗教と科学の関係について深く見ているわけではないが、前向きで明るさのある彼の受け止め方は、今私が漠然と感じていることに近い。引き続き考えて行きたい問題である。




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dimanche 4 octobre 2015

今日のお話は実に興味深く読んだ。

まず、DAさんとはこの翌年、ケンブリッジであったダーウィン2009という『種の起源』出版50年、ダーウィン生誕100年の会があった時、わたしは彼が講演することを知らなかったので聞き逃してしまったが、直接話をする時間があった。その時、彼の講演を聴いたと思われるオーストラリアのご婦人が神の存在の証明に悩みを持っていると言って、彼に話しかけてきた。それを聞いていて驚いたのは、神の存在を徹底した論理で最後まで考えている姿だった。われわれとは根本から違うと感じたことを思い出した。

それから、彼が宗教と科学との対立について寛容さをもって対応すべきではないかと主張していることについて。この記事では、宗教と哲学を入れ替えれば、彼と私がやっていることは同じことになると書いている。今回纏めたテーズでは、科学と哲学はもっと深い関係になる必要があるという主張を展開したので、7年前の観察は正しかったと言えそうである。また、わたしの考えは当時より具体的に固まってきたように思う。その意味では、感慨深いものがある。

 





グランタ グランタ グランタ プティタ プティタ プティタ

3 octobre 2008



今朝は、昨日の自己紹介の時にこういう表現を使えばよかったという文章が浮かんで目が覚めた。やはり自らが人の前で話す機会が増えないと言葉はなかなか身につかないのかもしれない。M2はM1よりは学生相互のインタラクションがありそうな印象を持ったので、これから楽しみにしたい。そして、昨日のクールで聞いた今日の表題の音のことが思い出された。

これを昨年の秋、最初に聞いた時には何を言っているのか全くわからなかった。少ししてからピンと来たのだが、、、

何のことはない、 ”AA Aa aa” である。

昨日のメンデルのクールで優性、劣性の性質が遺伝する様を説明するところでこの音が飛び出し、昨年の驚きを懐かしく思い出していた。このように音を聞いてもすぐに目に浮かばないことが多い。しかし、それがごく当たり前のものであることを発見した時に何とも言えない悦びが込み上げるという不思議な感性があるようだ。その意外性に対する反応だろう。


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ル・モンドに行ってみると、フランス経済はリセッションに入ったとある。

 " L'économie française est entrée en récession "

しかし、政府の関係者はこの言葉を嫌っているようだ。
ニュースで彼らの苛立ちが見える (Télézapping)。


これまで恨みがましく思っていたユーロと円の関係を見てみると、1ユーロ、145円代まで落ち込んでいる。こちらに来た時はユーロが最も強かった時期で、168円くらいではなかっただろうか。23円も違うとその影響は甚大である。この点だけで言えば、今の時期に来ていた方が学生生活はもう少し楽になっていたことは間違いない。



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dimanche 4 octobre 2015


このところ英語の世界にいたので、フランス語が浮かんで目覚めるなどということは想像できない。最初の4-5年はフランス語に包まれた世界で足掻きながらやっていたのだろう。6-7年経ったころから、繭の中のようなその世界から徐々に抜け出てきたように思う。ある意味では、繭の中のような守られた世界ではなく、生き馬の目を抜く英語の世界に戻って来たと言えるだろう。それはそれで不可避のことなのかもしれない。

経済には全くと言ってよいほど興味がない。いろいろな人がいろいろなことを言っている。このような状況は科学では少ない。それが起こるのは、まだ定説がない混沌とした領域である。全くの素人考えだが、経済もそのようなものではないかと勝手に思っている。





マスター2年目の初日は盛りだくさん La première journée de Master 2

2 octobre 2008

 

今日は朝9時からM2最初のクールがあるのでENSまで出かけた。まだM2になっているのかどうかわからなかったのだが。メンデルが遺伝の法則を明らかにした1865年の歴史的なドイツ語で書かれた論文の仏訳(Recherches sur des hybrides végétaux)を読みながら、いろいろ想いを巡らせていた。

修道院の僧侶が庭に作った菜園で、5-10年という今では考えられない時間をかけて研究を重ねていた。論文の語り口に人間臭さが出ており、機械的で無機質な現代の科学論文とは大きく異なっていて興味深い。それと確率や統計の手法がしっかりと使われ、その結果を説明するための様式が込み入っているので、当時そちらの素養がない人はついていけなかっただろう。発表時には全く注目されなかった理由もわかろうというものだ。ご存知のように、35年後の1900年にドイツ、オランダ、オーストリアの3人の学者がメンデルの仕事を再発見するまでは埋もれた論文であった。それにしても、歴史に残る仕事というのはしっかりしている。改めて感じ入る。

これまでの私の中でのメンデルのイメージは本当に漠としたものに過ぎず、ブルノ Brno という町の修道院で一生を送った修道僧がよくぞこのようなことをやる気になり、それが大発見にまでつながったものだ、という程度の恥ずかしいものであった。しかし、今日のクールを聞きながら、目が開かされていた。当時の修道僧の仕事は研究と教育であることを知る。彼は修道院の中に閉じこもり、埋もれていたわけではなく、行動し、移動し、活発に活動していたことを知る。

ブルノの町もウイーンから100キロ程度しか離れていないので、文化的に隔離されていたわけでもなかった。実際、彼はそのウィーンに出て、植物学、昆虫学、物理学(ドップラー効果で有名なドップラーの講義を受けている)を修め、細胞学説の大病理学者ウィルヒョーの話も聞いていたという。科学者としての基礎をしっかりと身に付けていたことがわかる。論文を読んでいると、法則を見出そうとして目の前で起こっていることをただただ正確に記録し、その結果を説明しようとしている様が伝わってくる。そこには邪心が全くないかのようでもある。

このような歴史を知ることに一体どのような意味があるのだろうか。私の場合には、例えば今日のクールが終った後、非常に落ち着いた気分になっていた。それを知らない時とは確かに違う落ち着きである。なぜかはわからないが、自らの現在が過去とのつながりの中にあることを確認できたということだろうか。自らの根の一部に触れたということだろうか。

これまでは無意識のうちに、家の、土地の、国の、そして学問の歴史を無視してきたところがある。そして光り輝いて見える現在に生き、歴史はこれから始ると考えていたのだ。振り返ると、それはアメリカで芽生え、私の中に根を張って行った。その目から見ると、歴史を抱えながらゆっくりと歩んでいるかに見えるヨーロッパは暗く、くすんで見えたのである。そこまで徹底した視点になっていた。そして、おそらくその徹底さ故に、数年前に飛び込んできた意味を探りたいという欲求は、当然のようにヨーロッパの歴史へと同じ徹底さをもって私を導くことになったのだろう。


午後に害虫駆除の処理をするというので、一旦アパルトマンに帰ることにした。担当者が入ってきた時にクラシックが流れていたので、彼はオーケストラやオペラは好きかと聞いてきた。その問に肯定で答えると、さらにロベルト・アラーニャを知っているかと問を続けた。もちろん(下の記事参照)、と答えると、ロベルト・アラーニャは私の従兄弟だと言って、携帯に入った一緒に撮った写真とアラーニャが彼の家で歌っている動画を見せてくれた。本当に世界は狭いものである。それにしてもイタリアの血は陽気で、人生を謳歌しているように見える。

ロベルト・アラーニャ ROBERTO ALAGNA (2007-01-18)


夕方、M2の合格者の発表が大学であるというので出かける。壁に張られた紙には、幸いにも私の名前があり、その横に admis と書かれてあった。これで2年目としてさらに研究が続けられることになった。そして直ちに2時間に及ぶプログラムの説明会が始った。Paris 1では大体20数名がこのプログラムに入るようである。このプログラムはParis 4、Paris 7、ENSとの共同なので、全体で80人前後ということになるのだろうか。

M1の時とは違い、会の初めにM2でのプロジェについても触れながら自己紹介するようにとの指示があった。その中でM1と比べ学生の多様性が増していることがわかった。例えば、大学を終えた先生や学校の先生を途中で辞めた人、年配のお医者さんがいたりするので、私もほとんど普通の学生の範疇に入るようになった。M1で一緒だったのは一人だけになっている。それぞれが別の道に進んだのだろう。それから当然のことながら、専門色が強くなっている。必須のクールが二つに減り、プログラム途中にそれぞれの研究についてエクスポゼが課せられ、最後のメモワールはM1の2倍の100ページと決められている。そして先日あったばかりのsoutenanceを通過して終わりとなる。研究職の前段階という色合いが濃くなっているようだ。来週から本格始動する2年目が一体どのようなものになるのか、今は予想もできない。ただはっきり言えるのは、私のような背景の者はM1から始めて正解だったということだろう。あの苦しみの中で大量の髪を失いながらもM2に向けての準備運動をさせられていたように感じるからである。



今朝、ENSに向かう道すがら撮っておいた写真が冒頭にあるもので、そこには馬が彫られていた。そのことはすっかり忘れていたが、帰りにメトロでこの写真が目に飛び込んできた。しかもその中のコピーに 「歴史の中に入るために」 という言葉が見える。



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dimanche 4 octobre 2015


いよいよ新学期が始まるという緊張感が伝わって来た。

メンデルのお話も印象深いものがあった。このような歴史のお話は科学の「今、現場」というところには直接関係はないかもしれないが、科学者の教養とも言えるベースになるだろう。わたしの場合、心が落ち着く効果があったと書いてある。それ以後も同様の経験をしているが、それはものを考える上で重要な効果を齎してくれることがある。考えるためにはこのような作業は必須だということである。

害虫駆除は毎年恒例だが、今年は1週間前に来たところだ。これも大袈裟に言えば歴史である。ああ、7年前も今頃だったのかということを確認するだけで心が落ち着く、腑に落ちるという感覚が生まれる。それは茫洋とした中に在るわれわれを一つの繋がりの中に置いてくれるからなのだろうか。