vendredi 28 septembre 2007
ブランショを聞く Maurice Blanchot
先週土曜、Petit Palais で行われたモーリス・ブランショの生誕100年を記念した彼の作品の朗読会に顔を出す。
Maurice Blanchot (22 septembre 1907 - 20 février 2003)
なぜ行く気になったのかと言うと、私がフランスに触れて最初に読みきった小説が彼のものだったからだ。今、ハンモックを調べて見ると、2003年3月にその記事がある。France Culture で紹介があり、数冊仕入れたのだ。なぜ読んだのかと言えば、短かったからである。
L'Instant de ma mort (15 pages)
La Folie du jour (29 pages)
今となってはその内容は思い出せないが、その時の印象が蘇り彼がどんな考えの持ち主だったのか知りたいという気持ちもあり、出かけることにした。
会場は Petit Palais のオディトリウム。日仏学院のエスパス・イマージュを少し縦長にした感じで、新しく気持ちがよい。彼についての講演があるのかと思って行ったが、最初に紹介したように彼の作品を10人ほどの作家、詩人、エッセイスト、写真家、小説家など (しばしば複数の肩書きを持っている人がいる) が順番に、淡々と読み進むという会であった。2時半から2時間くらいだっただろうか。
始ると照明は舞台だけになり、彼の言葉に入り込めるようになっている。少し前までは喧騒にまみれた現実世界にいたのが、一瞬にして彼の精神世界に招き入れられる。この町ではそういう一瞬の移行が至るところで可能な予感がする。言葉を大切に噛み締めるようにして読んでいる言葉の専門家の姿を見ているうちに、言葉という存在の意味を考えざるを得なかった。どこ かに自分に入ってくる言葉はないかと耳を凝らしていたが、残念ながら音楽にしか聞こえなかった。
こういうことは考えた。おそらく、書き手の声が聞こえるようになるためには、こちらも一人で立っていなければならないのだろうと。自分の中の声を確かめながら読み進まなければ、本当に言いたいことが入ってこないだろう。そして、人間の精神世界というものが果てしもなく奥深いものではないのか、という感触が伝わってくる朗読もあった。また、彼らが言葉と誠実に向かい合い、言葉とともにゆっくりと、どっしりと生きてきたのではないかと想像させるものが、至るところに漂っていた。また、このような会をネットで見るのとは全く違い (偶然出かける前にソルボンヌで行われた講演をネットで見たばかりであった)、その空気の中にいるために私の受容体の感度が著しく高まっていることもはっきりと感じることができた。
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