mercredi 19 septembre 2007

今日はどんな日に



まだ、モンテーニュは終っていない。先日のこと。金属製のシャッターを完全に上げずに外に出て作業をする。終ったところで振り向き歩き始めたその時、ガシャーーンというものすごい音がして驚く。そのシャッターに頭を思いっきりぶつけていたのだ。まだまだ自分の家にいるという感じではなく、作業中にシャッターがあることなどすっかり忘れていた。その瞬間、眠っている脳が揺り動かされたのをはっきりと感じることができた。足の助けを借りることなく、よい刺激になった。こちらに来てみるみる後退している髪を透かして覗いてみると、5センチくらいの赤い線が見事に残っているのを確認できる。素晴らしい当りだったようだ。

毎朝、目が覚めると今日も生きている、生かされているとぼんやり思う。少々早いのかもしれないが、こちらではそういう感じがある。そして件のシャッターを開けるのが日課になっている。その時、そのシャッターの向こうにはどんな朝が来ているのだろうか、今日はどういう日になるのだろうか、という今まで浮かんできたこともない思いが一瞬過ぎる。時の流れをこれほどの親愛の情とともに見ることなど、今まであっただろうか。それから徐にラジオをつける。« Vous écoutez radio classique. » あるいは « Vous êtes bien ...... vous êtes bien sur radio classique. » などと答えてくれる。その、日本語にも英語にもない 「ク」 という最後の音を聞くと、ここはフランスなのだと思う。

その radio classique から、これまでに聞いた曲が次から次に流れ出してくる。今まで歩んできた時間を音楽を通して味わい直しているかのような快感である。こういう感覚がパリで訪れるとは、想像だにできなかった。



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