lundi 17 septembre 2007

モンテーニュ (III) 頭と足 La tête et les jambes



モンテーニュの部屋の梁にはメナンドロスMénandre, ca. 342–291 BCE)の次の言葉がある。

« Heureux celui qui joint la santé à l'intelligence. »
 「健康と知力を併せ持つものは幸福なり」

しかしこの言葉はモンテーニュにとっては少し複雑である。なぜなら、彼は激しい痛みを伴う石の病気 (la maladie de la pierre)、今で言うところの腎石 (calculs rénaux) だったからである。18世紀になってやっと発表された彼の旅行日記にも、石のお陰で3-4日も排尿できないことが率直に (sans détour) 書かれてあるようだ。48歳にしてまだまだ元気ではあったが、自らをいたわらなければならなかった。

父のピエールは彼よりも元気がよかった。父方の家庭は、中流の出身で魚の商売をして繁盛していた。ピエールは息子のミシェルに伝説となった素晴らしい教育を施した。隣村に乳飲み子で出され、2-3歳の時にお城に戻ってくるが、その時ラテン語でしか話しかけなかったという。そして13歳にして中学を追い出される。態度が悪かったからではなく、最早教えることがなくなったからだ。

知性溢れるミシェルではあったが、疑うことを止めなかった。彼が若い時は、記憶力が悪く、体を動かすことも得意ではなかったが、乗馬だけは例外であった。重要なのは、体と思考の動きを乖離させないこと。彼は体の中に精神を持っていた。

「私の思考は坐っている時は眠っている」
「私の精神はそれだけでは動かない。足がそれを活性化する必要があるのだ」

それで彼は本を漁りながら部屋の中を歩き回る。彼の思考がうごめきだす。彼を待ち受けている仕事は重要であることは知っている。父親があのような教育をしたのも、元はと言えば彼に歴史に残る大きな役割を担ってほしいという夢があったからである。ここまでではそのレベルに達しているとは言えない。パリでの勉学時には財産を浪費し、父親から相続権を奪われるところまで行った。母親 Antonine de Loupes (Lopes のフランス語化 francisation) とも折り合いがつかず、彼は常に愛されることを望んでいたが、決して愛されることはなかったようだ。

その母親によってモンテーニュはスペイン人の後見人 (彼らはカトリックに無理やり改宗させられたユダヤ人であった) とともに生活することになり、彼らは隠れて自らの信仰を実践していた。母親は宗教とは全く関係がなかったのだが。モンテーニュの中にユダヤ教の要素があったとも考えられるが、彼はそれをどこにも書いていない。



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