vendredi 14 septembre 2007
少し前進 ?
昨日の朝、このところ毎日やっているネットとの接続のチェックをしたところ、やっとのことでつながることを確認。最初にもらった書類には確かに1週間後にサービスが始ると書かれてあるので、これはしっかりやってくれていたことになる。ただ、こちらのナビゲータをインストールしようとしても、なぜかうまくいかない。また今使っている日本版の方も少しおかしくなっている。当分の間は日本語のシステムだけで行くことにする。問題解決が出来ないのと、日本語の方が圧倒的に楽だからでもある。いずれにしても、これまでのフラストレーションのひとつが解決され、ほっとした。
少しすっきりして、滞在許可証を申請に sous-préfecture (私の辞書を見ると 「郡庁」 と訳されているが、都庁に対して区役所のような感じか) へ出かける。半年ほど前にネットで見た情報をもとに揃えた書類を持って。2時間ほど待ってやっと順番が回ってきた。まず窓口でこの書類でいかがですか、という感じで出すと、応対してくれた係の中年女性は、それ何ですか、と言い、まず用件を教えてくれというのだ。確かに尤もではある。ガラス越しにこれから学生になるので滞在許可証が必要なのだが、と言っても横で申請している人の声がうるさくて聞こえないという。こちらもあなたの声が小さくて聞こえないと言うと、これ以上大きな声では話せないと言ってきかない。とにかく学生なら入学許可証を出せと言うのでパスポートとともに出すと奥に消えた。10分ほどして出てきて、あなたはこちらの大学院で哲学を勉強するのですか、大学からずっとこっちで勉強していたのですか、などと、急に手の平を返したように大きな声で話し始め、笑顔になった。許可証の申請には予約が必要になるが、今のところ一杯で、来年の1月でなければ空いていないと言ってから、学生のための必要書類のリストを渡してくれた。
私のところで必要とされたものを参考までに。
1) パスポート
2) 白黒の写真、5枚
3) 戸籍抄本 (宣誓翻訳者 traducteur assermenté が最近訳したもの)
4) 入学許可証か学生証
5) 銀行の残高証明 (月430ユーロ以上)
6) EDF (電力会社) か GDF (ガス会社 Gaz de France)、あるいは固定電話の3ヶ月以内の請求書
以上である。ところで、ビザは3ヶ月しか有効でないので11月から来年1月までの間どうすのかを聞いたところ、延長のメモをパスポートに張ってくれた。こういうところは融通が聞く。これがフランスか、と聞いたところ笑って答えなかった。アパートと言い滞在許可証と言い、例外的なことが続いている。
午後からは、日本にある銀行の住所変更のためにこちらの在留証明書 certificat de résidence がいるというので、大使館に電話して出してもらえることを確かめてから出かける。電話での話がこんなによく通じると嬉しくなる。大使館では丁度よいところなので在留届も出すように言われる。日本の役所は坦々と事を進めてくれる。今朝のようなダイナミックな驚きはないので面白みに欠けるが、この場合それは必要ないだろう。
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朝、街を歩いている時、自分の視点が低くなってきたな、と感じる。どういうことかと言うと、アメリカで最初の町に住み始めた時、ある時点から視点が低くなってきたことを感じたことがある。それまでは、目の位置がお店の看板のあたりにあり、街を上から見ているような感覚だったのが、街の通りに下りてきて、建物に囲まれて生きているように感じ始めたのである。観光客の視点ではなく、生活者の視点とも言えるのだろうが、自分の中では目の位置の変化として捉えられていた。アメリカの場合、どのくらいでそれを感じたのか正確には思い出せないが、もっと後だったように記憶している。これまで街のポスターなども好奇の目で見ていたが、今では背景の一部として退いてしまっている。
この2年余りの間、全くそのつもりはなかったのだが、ある意味でフランスのことについて予行演習をしていたようなところもある。またこの間、3月、6月あるいは7月、9月、12月とこちらに来ている。これはこちらの季節を予め味わっていたことにもなる。知らない土地に暮らすと、最初の1年は季節の変化を知るのに費やされるということを聞いたこともあるし体験もしているが、図らずもそれを予習していたことになる。
去年の今頃、何をしていたのかハンモックを覗いてみたら、こちらに学会で来てあくまでも旅行者の興奮をもっていろいろなことに接しているのがわかる。そしてその頭には来年の今頃ここでこうしていようなどとは想像もしていなかったこともわかる。今の頭の中は当時の自分とは全く違うものになっている。それゆえ、来年どのようになっているのかなどはわかりっこない、というのが正直なところだ。
今日は少しだけ前に進んだような気になり、ゆっくりしてしまったようだ。
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