samedi 15 septembre 2007
モンテーニュ事始 Montaigne
夜、窓の外に目をやると、周りの部屋から光が漏れている。どこから来る光もオレンジ色を帯びている。かなりの方が住んでいると思うが、一つの例外もない。家にいる時はこの電気のもとでなければならないという感覚が彼らの中にあるのだろうか。その光の中で思索に耽る時間もあるのだろうか。私のアパートもその色の光しか出ないような家具が使われている。視線が内に向かうところはあるようだ。日本の明るい光の窓からは感じない何かを感じていた。
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7月12日の Le Point でスピノザの特集があったかと思えば、8月9日の特集はモンテーニュである。これなどは如何にもフランス的だと前々から思っているのだが、いかがだろうか。モンテーニュは前から気になっている人だ。例えば、以下のようなお話から。
ニーチェはモンテーニュの仲間 (2006-08-25)
コンシュ 「生きるとは哲学すること」 (2006-10-26)
今回のタイトルは、"Montaigne, le sage acrobate"。「曲芸師的賢者モンテーニュ」 あるいは 「知の軽業師モンテーニュ」 とでも訳すのだろうか 。いずれにしてもこれだけではその意味がよくわからない。読み進むことにしよう。
何世紀にも亘り、時に誉めそやされ (encensé)、時に嘲笑された (vilipendé) ミシェル・ド・モンテーニュ Michel Eyquem de Montaigne (28 février 1533 – 13 septembre 1592) は絶えず再発見される存在である。今回、Pléiade 版 の新たな 「エッセイ」 が出たので取り上げられたようだ。
モンテーニュのことを考える時、部屋に引き篭もり、いろいろな君主と交渉しているイメージを抱く。しかし、彼は温厚でも静かにしているわけでもなく、われわれを驚かせ続けてくれる。その道は予想もできないものだが、彼にはすべてが降ってかかる。例えば、1581年8月1日のボルドーの市長選。この時彼はイタリア、ドイツと旅に出ていて不在であったが、カトリックとプロテスタントが対決している政治的・宗教的闘争の決定的な時期に、戦略上重要な都市の舵取りを任されることになる。9月始めにはピサ Pise に近いルッカ Lucques で腎石の治療をしていた。彼が500日以上の旅の後、家に帰ることになるのは11月終わりである。常に動いていたことがわかる。
旅に出る前には、彼の大切な住処で 「エッセイ」 の最初の2冊を書き終えていた。この円形の広い部屋は、お城の塔の3階のほぼすべてを占めている。そこに書斎兼図書を移し、読み、書き、生活する場所と た。三つの窓からはすべての土地を見渡すことができる。壁には1000冊ほどの彼のすべての本が置かれていて、その多くは注釈で埋め尽くされている。しかし、モンテーニュは稀にしか筆を執らなかった。ほとんどの時間は口述させていた。また長時間読書することもなかった。子供時代から慣れ親しんできたギリシャ語やラテン語の作品を読ませていたのである。
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